中津川市の工業の歴史

更新日:2022年01月11日

歴史

中津川市の工業の歴史は古く、1902年(明治35年)中央線開通と共に工業の近代化が始まりました。

  • 明治39年、中央製紙株式会社(現王子エフテックス株式会社中津工場)が操業しました。製紙業は、地場産業であった木材業や国有林、民有美林の良質な木材と、山川からなる良質な水を背景に発展しました。
  • 昭和14年には、地場生糸業と協調したかたちでオーミケンシ株式会社中津川工場が中心市街地にて創業。
  • さらに昭和18年2月、三菱電機株式会社中津川製作所が戦時中の疎開工場として操業。終戦後、そのまま民生電機工場として定着したことを機に、金属機械加工を主体とした工業群が形成され製造業の町として成長すると、市内はもちろん近隣町村に大きな雇用を生み出し、中小企業の自立も果たしました。
  • 昭和50年開通の中央自動車道は、流通面等で中津川市の位置する中京圏と近畿圏との関連を強くさせていきました。
  • それに呼応するように、昭和63年3月岐阜県・地域整備公団による中津川中核工業団地の予約分譲を開始。
  • 平成30年4月現在、16社が操業し、約3,500名の雇用を創出しています。

工業の現況

製造品出荷額等約3,543億円で岐阜県内5位(平成29年工業統計(平成30年発表)による)

構成比率

  • 電気機械器具が約1,460億円(41.2%)
  • 輸送機械器具401億円(11.3%)
  • パルプ・紙・紙加工品254億円(7.2%)
  • 金属製品製品業が216億円(6.1%)

事業所数

  • 総数267事業所、従業員数は総数12,281人
  • 電気機械器具32.7%、輸送用機械器具14.8%、金属製品製造業6.8%

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