苗木城築城500年の幕開け 記念講座第一弾「苗木藩最大の波乱 尾張藩久田見村との山論」の様子
苗木城築城500年講座の様子
苗木城築城500年の幕開け2026年1月16日(金曜日)に当館調査員 千早保之先生による苗木城築城500年講座 「苗木藩最大の波乱 尾張藩久田見村との山論」を開催し大勢の方が参加されました。
講座内容一部開示
苗木領地図
久田見村との山論
江戸時代は、村と村との境(多くが山中)をめぐる争いがしばしば発生した。これを山論という。
苗木領内の村同士の争いは、郡奉行・代官が扱うが、隣国との山論は江戸の寺社奉行が裁き経費も多大で数年の大事件となる。
典型が、福地村・犬地村など9ヶ村と長曽橋で境する尾張領久田見村(加茂郡八百津町)との山論で、1大国尾張62万石と小藩苗木1万石を背景にした争いであること、苗木は裁定で21石以上失うと大名格を失うという瀬戸際だった 2領主遠山家と家臣という支配層と村役人(庄屋・組頭)・百姓が江戸と苗木に於いて堅く結束して大藩の圧力に屈せず筋を通した。苗木の歴史を通して尤も美しい姿が見える 3江戸の寺社奉行の役人は上から下まで大藩の威に全く屈せず訴訟に公明正大を貫き通し、多くが久田見村の無理難題を止めた。
(注) 遠山文書 916 山論所御吟味下并取替証文写 文政6年11月
275 万手扣類 山論・薬方 文政8年6月
尾張領久田見村との山論
苗木藩にとってのその重さ
○ 尾張藩は親藩で62万石(美濃国内に12万石)に対し、苗木は外様1万21石の小大名。境界争いで領地21石失えば「大名」を失格
○ 尾張藩は苗木藩を東(中津川)、北(裏木曽3ヶ村)、南(久田見村)で囲み、とりわけ久田見村は、苗木藩にとって欠かせない黒瀬街道の行く手であり、敵対すれは通行の多大な障害になろう
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更新日:2026年01月16日