【資料紹介88】明治2年のこうもり傘

更新日:2023年10月24日

明治2年のこうもり傘

  こうもり傘を大百科で見ると、「1852年に英国で現在の形が特許を得、日本では1861年に咸臨丸でアメリカから帰った勝海舟が一本のこうもり傘を持ち帰ったが、攘夷派を怖れて用いなかった。明治3、4(1870、71)年頃から輸入され、7、8年頃には東京市中でぽつぽつ見られるようになり、新文化のシンボルになった」とあります。(『世界大百科事典』平凡社)
  ところが、明治2(1869)年旧8月、雨天の苗木藩の光景を描いたこの図には、こうもり傘が描かれています。
  明治2年6月に苗木藩の版籍奉還(大名の領主権を返上)が認められ、大名遠山家は断絶しますが、遠山友禄(ともよし)は藩知事に任命されました。
  2ヵ月後、8月20日から3泊4日で知事と藩庁幹部5名が藩内を巡村しました。20日は加茂郡犬地村、21日は油井(ゆい)村に泊まり、22日夜は越原(おつぱら)村名主安江猶(ゆう)一郎宅に泊まり酒宴がもたれました。
  越原村は代々越原(こしはら)家が庄屋を勤めていましたが、新たに安江が名主(庄屋)になり、知事を迎えました。安江は黒川村の表具師藤井茂介に写画を依頼し、2枚の貴重な絵が残りました。1枚は22日、油井村名主杉山丈左衛門の案内で越原村へ着く一行の様子です。馬上の知事友禄と歩行の青山直道ら藩庁幹部5名,案内の杉山・馬子が描かれていますが、雨天とみえて知事以下4人が洋傘を用い、「こんむりがさ」と表記されています。(名主の杉山は和傘。3名は傘なし)
  大百科では明治3、4年から洋傘が輸入され始めたとあるのに、東京でなく苗木辺地のつましい一行が,明治2年に洋傘を普通にさしている姿は,なんと見たらいいでしょうか。

                                                遠山美濃守様 御廻村之図(安江家寄託展示)

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