9月16日「金曜講座」の様子
大名友寿 娘を愛おしむ

9月16日(金曜日)に調査員の千早先生の「金曜講座」を行いました。
若くして大名になった11代友寿は江戸での暮らし、苗木での暮らしそれぞれに日記をつけていました。
最初の子どもの娘の「お熊」は14歳で旗本の戸川家に嫁ぎますが、側室に男子が生まれると、名前を「お治(はる)」に改名され、そのうえ2年後には離縁されてしまいました。

父親の友寿は、離縁の後すぐに「お治」から「お利雄(りお)」と改名させます。
当時の日記は様々な記録を残すことが主で、心情を表す言葉は見当たりませんが、再度の「改名」から父親としての無念を感じとることができます。
ちょうど厄年の友寿は厄払いのため、神事「流鏑馬」を執り行いました。

その後それほど時を経ず、尾州名古屋下條家にお利雄の嫁ぎ先が決まるという吉報がはいります。
そしてお利雄が苗木に戻ると、友寿は盛大に迎え入れました。
嫁ぐ日まで、友寿は事あるごとにお利雄を共に連れて出かけていき、また雛祭りには娘の頃と同様に祝う様子が日記に記されています。
お利雄の嫁入り道具には、厄払いの「流鏑馬」の軸が入っていたと考えられ、再び娘が離縁をされないようにという父親友寿の娘を思う気持ちが込められていました。
苗木藩の財政は厳しく、大名友寿の憂いはごとは尽きませんでしたが、娘に愛情を注ぐ姿に親としての優しさを感じ、心温まる講座となりました。
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更新日:2022年09月17日