江戸時代料理復元展「苗木城下町宿『恵奈屋』の接待料理」

料理復元展「苗木城下町宿『恵奈屋』の接待料理」
当館では、3月8日(土曜日)から3月16日(日曜日)まで、江戸時代料理復元シリーズの企画展「苗木城下町宿『恵奈屋』の接待料理」を開催します。
天保8(1837)年3月9日に、11代藩主遠山友寿公の病状を診察するため尾州領の医師林良益を呼び寄せました。
その診察後、苗木城下町宿『恵奈屋』で接待した時の料理を復元します。
■日時
令和7年3月8日(土曜日)~3月16日(日曜日)
9時30分から17時まで(入館は16時30分まで)
会期中の休館日:3月10日(月曜日)
■ 場所
中津川市苗木遠山史料館 2階 特別展示室
(中津川市苗木2897-2)
■ 内容
天保8(1837)年3月9日に、11代藩主遠山友寿の病状を診察するため尾州領の医師 林良益を呼び寄せたことが友寿公の「苗木日記」と友禄公の「江戸日記」に記述されています。
今回の復元料理は、その診察後、良益を苗木藩の医師 渡辺玄豊が「恵奈屋」で接待した時のもので、遠山家文書の中の「尾州林良益召呼候節之献立(尾州の林良益を呼び寄せた時の献立)」にしたがって復元するものです。
■ 展示概要
復元料理 鱠・煮物など
復元菓子 4品ほど
関連工芸品、書画、盆栽、地図など

「尾州林良益召呼候節之献立(尾州の林良益を呼び寄せた時の献立)」
苗木城下町宿「恵奈屋」

恵奈屋 苗木城下絵図1800年頃
「恵奈屋」は江戸時代の末期に苗木の城下(現在の苗木本町)にあった町宿で、苗木藩は賓客の接待用などにここを使い、藩士たちもまた、よく利用したといわれています。
ちなみにこの町宿の主人恵奈屋嘉平次は、当時近在に知られた料理人であったと言われています。
■ 遠山友寿公の苗木日記(抜粋)

天保8(1837)年 3月9日 曇
3月9日昼過ぎ小栗三郎四郎が尾州領の医師林良益を伴い登城し、書院に於いて医師と面会した。納戸(部屋係)が退室し、家老小倉猪右衛門はじめ御用人や目付たち、そして小栗三郎四郎も退室した。
それより、居間に於いて診察を申し付けた。台子の間を屏風で仕切って、鉄砲の間に金屏風で食い違いにさせた。鉄砲の間の廊下へ棚橋左右馬、岡本斉宮、纐纈荒五郎が、次の間には近習4人が詰めた。
診察後城暮合退出し、渡辺玄豊が町宿「恵奈屋」で林良益を接待することとなる。
■ 遠山友禄公の江戸日記(抜粋)

天保8(1837)年 3月24日 雨
殿様は昨年から体調をくずしておみえになり、おいおいご快方に向かってはおられるが、とても例年のように3月25日に参勤のため江戸へ出発されるのはむずかしく、今年は少しご延着になると、国元(苗木)から知らせてきている。
なお、尾州領の林良益と申す医師を呼び寄せて診察してもらうことになり、このことは苗木の医師たち賛同した由である。
右の林良益は去る3月8日に小栗三郎四郎という者と同道で到着し、翌9日と10日に登城してご診察を申し上げた由である。
補足
当時時、国元苗木と江戸藩邸の間には定期的に飛脚が往来しており、これは江戸藩邸へもたらされた苗木からの便りを読んで江戸日記に載せたもので、そのため3月8日から10日のことが3月24日に記されているわけです。
いずれにしろ、この記述によって、恵奈屋での接待の意味や目的が良く理解できます。
また、この席には苗木藩の医師、渡辺玄豊が罷り出てお相伴をつとめたとあります。
なお、11代遠山友寿は、この1年8ヶ月後、国元苗木において卒去しています。享年54歳
■ 昨年の復元料理 「大名婚儀の料理店」
(左から、御本膳・二御膳・三御膳・あまかす御膳 )
オープニング復元料理説明会
昨年の展示復元料理説明会
■ 展示復元料理説明会
3月8日(土曜日)13時 30分~14時
説明 中津川市料理研究会
中津川市苗木遠山史料館
■ 場所
中津川市苗木遠山史料館 2階 特別展示室
(中津川市苗木2897-2)
中津川市苗木遠山史料館
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更新日:2025年02月12日