【資料紹介78】 大名の日記(苗木と江戸)

更新日:2021年11月02日

大名の日記(苗木と江戸)

 

  苗木藩の大名遠山家では、歴代の藩主が日記を書いていたようです。中でも江戸後期の11代友寿(ともひさ)・12代友禄(ともよし)公の苗木日記・江戸日記は膨大(176冊)で貴重なものです。さらに遠山友禄は、激動の明治改元の1868年を大部な「覚秘録(かくひろく) 壱・弐」にまとめ、さらに明治24年までを30冊の日記に残しました。苗木遠山史料館では江戸後期の日記の大半を翻刻し(太田凡平元調査員・加藤宣義調査員)、完了も間近です。参勤交代のため居住地をかえますが、日常身辺を詳しく記述していて一級の資料です(ただし身辺に限られ、苗木領全体を見るには乏しい)。
  藩主が細やかな日記を残せたのは、城内各部の役所日記がおそらく毎日提出され、藩主が一覧できる仕組みがあったからではないでしょうか。家臣の出欠勤、出張、家臣家族の慶弔、家臣・客人との面接から日常行事など実に詳しいのです。

その上、日記には「そのことに付いては別に記す」とあり、別のさらに詳しい記録が残ります。例えば、8月10日(文化11年)午後、騎射稽古に並松馬場に行った、とあります。そこで、別帳「諸稽古覚 七」を見ると、その日その日参加した友寿公他7人の氏名と、的に当たった本数が記録してあります。美濃(自分)6本、(堀尾)数之助5本、以下全員が毎回記録されているのです。

  それに加え、11代友寿公は、先代友随(ともより)公・実父友福(ともよし)公の日記から集録し、「おぼえ」「随想」等として残し、自らの足跡は「詠草(えいそう)一~十七」(歌集)・「道之記一~七」(参勤道中歌集)の他、「勤方手扣(つとめかたてびかえ)一~十三」(勤方記録)等、膨大な記録を残しています。
詳しく見ると、大名日記は興味がさらに湧いてきます。




              江戸日記(左)と苗木日記(右)












 

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