【資料紹介98】 天王院 鷲見家文書の初見

更新日:2025年12月25日

天王院 鷲見家文書の初見


江戸時代、上地(うえじ)に天王院(てんのういん)(天台宗)があり、代々鷲見(すみ)家が山伏として祈祷を行いました。近くに飯盛(いいもり)大権現もあり、その別当も兼ね、藩主遠山家には正月4日に、城下の雲林寺等と共に登城し目見えするのが恒例でした。
鷲見家はもともと郡上にあったが、関ヶ原合戦後、初代大名となる遠山友政に従い、苗木に移ったようです。
鷲見家が所蔵した文書には、『足利将軍より鷲見氏代々への感状 写』(24通程が冊子に)があり、鷲見藤三郎忠保の書状写しから始まり、これが建武3(1336)年9月と記されているので、写しと言いながら室町時代の初期からの記録が残るのは、大変貴重だと思います。
関ヶ原合戦直前(1600年9月)の鷲見家は忠左衛門保勝(遠藤慶隆の家老400石)が郡上城奪還の際、稲葉軍により戦死し(『郡上郡史』)、子保秀に友政が手を延べた。
保秀は京都で聖護院配下に属し天王院初代盛秀を名乗
りました。8代顕秀で明治維新に至り、神職に転じて鷲見兵庫と改名します。
鷲見家文書で、もう一つ注目されるのが7代憲秀で早く家督を譲って玉輪法師を名乗り、「玉論堂日記」(文化6~文政9)を残しました。
苗木藩では11代遠山友寿・12代遠山友禄の日記が実に詳細で知られるが、例えば文化13年閏8月4日の大風(台風)を藩主友寿の記載と玉輪法師の記載を比較してみると、地理・立場の違いが見えて面白い。個人の日記はなかなか見ることが、出来ないが今後も百姓や家臣の日記が入手できれば、藩主日記とそれを比較すれば歴史は一層味わい深く見ることが出来ましょう。

 

王輪堂日記

王輪堂日記

従足利将軍鷲見氏代々感状 写

従足利将軍鷲見氏代々感状 写

中津川市博物館だより 恵那山 2025Vol.26.No.4掲載分

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