【資料紹介97】大正9年 第1回国勢調査資料
国勢調査は、国内の人及び世帯の実態を把握し、各種行政施策その他の基礎資料を得ることを目的として5年に1度実施されます。
第1回国勢調査は大正9年に行われ、令和7年調査は22回目に当たります。
今回、第1回国勢調査の資料を公開いたします。
第1回 国勢調査記念録
大正9年10月1日に行われた第1回国勢調査を記念して、調査員を中心とした関係者に配布された記念集です。第1巻から3巻までの3分冊。第1巻が国勢調査にかかわる皇族や大臣などの紹介。第2巻は、国勢調査に関する法令、従来の大日本帝国の統計データおよび列強各国のデータ、調査問答集など、国勢調査の概説とマニュアル。第3巻(岐阜県版)が、岐阜県下の調査員、郡国勢調査係員など関係者の記念写真集となっています。
大井町 4,557人
中津町 14,202人
第一回国勢調査記念写真 恵那郡大井町
第一回国勢調査記念写真 恵那郡中津町
第1回 国勢調査の記念章

我が国の栄典制度の記章の一つで、第1回国勢調査の事業に関与した者及び事業に伴う要務に関与した者に授与された。
第1回 国勢調査の記章

国勢調査員が左胸に付けて調査活動を行った。
大正9年(1920年)第1回 国勢調査 我が国最初の国勢調査
第1回国勢調査の実施は、「国勢調査ニ関スル法律」の制定から18年後、近代人口センサス第1号といえるアメリカの1790年センサスから130年後のことです。
我が国統計の父ともいうべき杉亨二によって提唱された現在人口調査、すなわち人口学的な意味での人口センサスは、彼の死後にようやく行われました。
この調査は、いわば我が国における近代的統計調査の幕開けともいうべきものです。
それまでの統計調査は、行政事務と直接結びついた、官庁の業務資料としてあったものを整理・編集するということにあり、統計調査としての独立的な意識は持たれていませんでした。
そもそも、国勢調査の実施が、杉亨二など統計先駆者の努力にもかかわらず遅れていたのは、我が国には明治5年以来、戸籍に基づく人口統計が存在しているではないかという考え方が一因をなしていたからでした。
しかし、戸籍に基づく推計人口は、明治5年の戸籍調査によってとらえられた本籍人口を基に、年々の出生・死亡と戸籍変更の届けによって推計されていたものであり、正確な人口をとらえるという点で大きな問題がありました。
明治末期に東京市と神戸市で市勢調査が実施されましたが、これらの調査と戸籍に基づく推計人口とを比べたところ、後者に多大な重複があることが証明されました。
また、こうして推計された数値は、不正確さの点もさることながら、その数値は限られたものにならざるを得ず、人口構造を明らかにするという点に関しては、はなはだ不満足なものだったといえます。
国勢調査は、対象を直接調査し、対象の種々の属性を組み合わせて集計するという近代統計調査として、こうした問題に解決を与えました。
こうした問題は人口調査に限らず、あらゆる統計調査に共通した課題でありましたが、近代統計調査を国民に初めて浸透させ、他の統計調査への波及効果をもたらしたという点で、この第1回国勢調査は大きな意義を持っています。
大隈重信候と統計
早稲田大学の創立者としても知られる大隈重信候は統計に関心を持ち、その発展に業績を残しました。明治14年(1881年)4月に統計院を設置して自ら統計院長に就任しました。

《総務省統計局HPより引用》
中津川市苗木遠山史料館
- 〒508-0101 岐阜県中津川市苗木2897-2
- 電話番号0573-66-8181
- ファックス0573-66-9290
- メールによるお問い合わせ

更新日:2025年11月08日