【資料紹介95】遠山文書で今、謎が出現!
遠山文書で今時、謎が出現!
苗木遠山史料館の遠山文書目録作成作業も6年を経て終結段階になりました。令和7年1月の作業中に今まで未見の文書が数種登場しました。調べると「不明」とされた文書袋でした。中に「天保8年9月27日、八幡ヶ根の別荘の棟上げ式があった。友寿」と記録がありました。八幡ヶ根が「やわたがね」か「はちまんがね」かがわからない。
日比野の奥が八幡(やわた)なので、その古老に尋ねると知らない。苗木事務所で古い小字(こあざ)を調べて貰っても出てこない。長年、藩主日記を翻刻(ほんこく)(解読)している加藤さんが、その場で「今読んでいる友寿の苗木日記(天保8年)にそのことが書いてある」と言われた。そこから11代友寿が病気療養しながら、家臣小倉猪兵衞(いへえ)の「山の中屋敷」(化粧岩の東高台にある)を召し上げて別荘(これが八幡ヶ根)として改築した上、近くの大岩前に「人丸神社」(万葉歌人山上憶良(おくら)を祀る)を創設した、と日記にありました。
その上、友寿は病身で江戸へ出て、おそらく和歌の師匠高井八穂(やつほ)に頼み、弟子等86人の和歌短冊を得て人丸神社に献納したようです。(「八幡ヶ根御奉納短冊」天保9年の事でその11月に友寿は苗木で卒去。別荘はその後また「山の中屋敷」と呼ばれたらしい)その短冊が纏(まと)まって私たちの目前に現れた。目録作業終了直前で大変な慶事に出会えました。
奉納短冊のうち 藩主 友寿・嫡男 友詳(友禄)の作品
影高き 高角山の 瑞垣(みずがき)を映して仰ぐ 敷島の道 友詳
影高き 高角(たかつの)山の 面影を 映す光や 世々に栄えん 友寿
中津川市博物館だより 恵那山 2025Vol.26.No.2掲載分
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更新日:2025年11月01日