【資料紹介92】延眺閣で独り文筆する

苗木城絵図(部分)「岐阜県史跡名勝天然記念物調査報告書 第4回」明治10年
苗木城内で一番の眺望は馬洗岩の下側東に聳(そそ)り立つ大岩「須磨明石(すまあかし)」からだったようです。
「ここに至れば恵那が嶽(恵那山)が眼前に高く見え、その他湯舟沢山々、川上(かおれ)山等が見え、分けても厳寒等には降り積もる雪、白妙(しろたえ)に見えて一際の眺(なが)めである」(新田淳「苗木明細記」明治16年) とされます。
ただし、近くに武器蔵や勘定所土蔵など機密にすべき場所があり、昔は一般の町人・百姓は大門から奥へは入れず、ここはとうてい入れぬ場所でした。藩主の日記には、時に「須磨明石へ行った」という記述はあります。
須磨明石の大岩の下、帯曲輪(おびぐるわ)にある物見小屋は役人(下級家臣)が詰めたので、彼らには物見(ものみ)小屋からの眺めが第一と言えたでしょう。ここも勿論百姓・町人は近寄れぬ場所でした。
11代遠山友寿(ともひさ)と12代遠山友禄(ともよし)は、日記・和歌・稽古記録などを多く残しましたが、冊子の末尾に時に「延眺閣(えんちょうかく)で記す」と附記しています。
これがどこなのか探ってみて、おそらくここ、という小部屋を見つけました。
今は本丸から鉄製の階段を登って天守展望台に着きますが、往時はそこに階段はなく、正面が「千畳敷(せんじょうじき)」と呼ぶ広い廊下の入口に当たり、そこから真っ直ぐに入り少し進むと大廊下は南に折れて、そこに木の梯子(はしご)があり、登ると天守の台所に至りました。
千畳敷の大廊下が南に折れる位置で左(東)に小部屋が突き出ています。(模型で確認出来ます)ここが延眺閣ではないか。
藩主は独りで物思いに耽(ふ)けったり、集中して書写・文筆するときは邪魔の入らないここに閉じ籠もっていたのではないでしょうか。
この場所は今の天守の展望図台のやや左前方の岩の上に位置して、ここならば最高に見晴らしが佳く、「延眺閣」の名に相応(ふさわ)しいと思えます。ただ公式の詳しい絵図にはその一郭は名がありません。
藩主は自分だけが最高の場を占有していることを家臣や民に憚(はばか)ったのではないでしょうか
恵那山 2024Vol.25No.3掲載
中津川市苗木遠山史料館
- 〒508-0101 岐阜県中津川市苗木2897-2
- 電話番号0573-66-8181
- ファックス0573-66-9290
- メールによるお問い合わせ
更新日:2024年07月01日