【資料紹介85】木曽の渡し

更新日:2023年02月16日

木曽の渡し

   昔の木曽川は、川原は砂石だらけで川幅も狭く、今よりはるかに急流だったようです。

   苗木藩では木曽川の渡し用に上地(うえじ)に2(そう)の船(2人から6人の船頭)を備え、中津川から木曽川を越し、苗木城下を経て高山に至る迄の交通(飛騨街道)の便を図りました。

   しかし大雨が降り木曽川が増水すると、激流で船を出せなくなります。藩主遠山(とも)寿(ひさ)の日記を見ると、その大変さがよくわかります。

   大名が1年おきに勤める参勤交代は、苗木では7泊8日で江戸に着くことが決まっています。その間1日40kmを8日間歩き続ける強行軍でした。

   ところが、苗木を出発する時に大雨が降ると、予定通り船が出せず、水流が少し治まるまで足止めを食らいます。1例を見てみましょう。 

   今から200年程前、文政10(1827)年の参勤は3月25日が出発予定でしたが、雨で増水し、急な流れで渡船出来ませんでした。その後好天になりましたが水位が下がらず、30日になんとか渡船しようとしますが、馬舟は出せないということでした。そしてまた大雨になり、4月5日になってようやく無理に出発し、木曽川を渡りました。

   3月24日の日記には、「この間中の出水にて明日は馬舟が立たぬ旨船頭からあった。明日の発駕(はつが)は延引。日限は追って・・・」 25日「上地川(木曽川)出水の趣だから明後27日に鵜飼舟を立てるとのこと」とあり、長期戦に入ったことがわかります。

   日記からは、木曽川を渡るまでの11日間の心労が読み取れます。7泊の宿(本陣)への連絡調整は、参勤の時期が集中しており、他の大名の予定をにらみながらの工面は、さぞ大変だったろうと同情します。

 

                文政10年3月24日の遠山友寿の日記
「出水ニテ今朝ノ雨ニ不拘、明日ハ馬舟不立旨船頭ヨリ注進有之」

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