【資料紹介84】 苗木城築城500年
苗木城築城 500年
苗木城が高森山に築城されたのは大永6(1526)年で496年前のことでした。それ
までは植苗木(福岡)に遠山氏の屋敷と城砦(広恵寺城 1350年以降に築城)
と寺社広恵寺・牛頭天王)がありました。
古代から木曽川の北は古中山道が坂下・福岡・高山・蛭川・中野方を通っていて飛
騨を北に見る福岡は恵北の要路となっていました。しかし応仁の乱の後、東山道に
信濃の小笠原氏・木曽氏が南下してくると新たにそれに対する監視・警備が必要と
なって来ました。
中世の荘園は京都の近衛家がまだ苗木郷と岩村郷を領しており、苗木郷の代官所は
日比野か八幡にあったでしょうか。税の徴収は植苗木の地頭(奉行)遠山氏が行い
、代官所へ一定部分を上納する関係(公家と武士)でした。
飛騨南の竹原にいた三木氏が1521年、高山に移り、北の監視にゆとりが出来たの
で、遠山一雲入道昌利は南の警備の充実を図りました。その頃、荘園支配は衰
微し、近衛家の最後の代官小笠原某が代官所から撤退したので、入れ替わり遠山家
は居を移し、1526年高森山に城砦を建てました。一雲入道は植苗木にそのまま隠
居し、東山道を監視する高森城には嫡男の高柴伯耆守景徳が移りました。
日比野の熊野社(現 神明神社)はおそらく近衛家代官所の社だったでしょうが、
奉行景徳が大永4年に再建しています。遠山景徳が高柴と呼ばれるのは、高柴(新
谷)に遠山屋敷が置かれたからでしょうか。苗木の遠山家はここから歴史に大きく
足跡を残すようになります。
500年前から苗木のイメージは一新されたのでした。

苗木城二の丸御殿と天守復元図
(CG作成 浅野孝司)
中津川市苗木遠山史料館
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更新日:2022年10月02日