【資料紹介】苗木文書にみる篤姫

更新日:2021年06月06日

【資料紹介】苗木文書にみる篤姫

◆収蔵品紹介

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苗木日記から 大河ドラマ「篤姫」の好評にあやかって篤姫に関する資料を当館で探してみました。史料館所蔵文書のうち「苗木日記」 (12代遠山友詳(ともあき)のち友禄(ともよし)の日記)と「見聞雑書」に篤姫の婚儀に関わる記事がありました。後者は11頁に及びます。 嘉永6年(1853)10月にはすでに江戸の薩摩藩邸に到着した篤姫でしたが、この年のペリー来航以来、社会は動乱し、次第に状態に国難著しい状態になっていきます。 この最中(安政3年)、篤姫は11月11日には、江戸城入り、12月18日に13代将軍家定と婚儀を結びました。 篤姫の江戸城入りは安政3年(1856)11月の日記に次のようにありました(参勤交代で戻っていたので、江戸のニュースを苗木日記に記載)。 行列の出発は芝の薩摩屋敷、つまり苗木藩上屋敷の向かいから始まり、途中下屋敷の傍らも通ったようです。

「11日篤姫様、薩摩屋敷から江戸城へお引き移りになった。麻布下屋敷の脇を御通行されたので、立固宮地金平、表徒士両人、 その他足軽小頭1人、平足軽5人が出て、(陶山)丈左衛門は下屋敷留守居場にて詰め切った。午前10時過ぎ、滞りなく御通過された。・・・」

当時の諸情報を集約記録した「見聞雑書(けんぶんざっしょ)」(遠山文書)には、次のようにあります。 「5月11日 篤姫様が近衛殿の御養女になられたことと縁組の儀は12月中という。もっともこの度は御再三の御儀(家定三度目の婚儀)だし、 御時節(開国問題、安政の大地震)柄、諸事は寛政元年御婚礼の御内祝いの御例を以て御手軽にあそばさるべく旨、申された(以下略)」 詳細は当館での展示をご覧ください。(千早)

恵那山2008年10月号 2012年3月29日掲載(最終更新 : 2017年6月 2日) 中津川市苗木遠山史料館 〒508-0101 岐阜県中津川市苗木2897番地の2

電話 0573-66-8181 ファクス 0573-66-9290

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