【資料紹介】三代藩主遠山友貞従五位下信濃守に

更新日:2021年05月28日

【資料紹介】三代藩主遠山友貞 従五位下 信濃守に

苗木遠山家は幕府から1万余石を拝領した大名ですが、同時に京都の朝廷から官位を得ます。

三代藩主遠山友貞(ともさだ)(1641~75)は、寛文元(1661)年12月に従五位下(じゅごいげ)を叙位され、さらに信濃守(しななのかみ)の官位を得ます。叙位はまず公文書でなく、口宣案(くぜんあん)で伝えられました。

口宣案

口宣案

口宣案

口宣案

口宣案は天皇の勅旨を口頭で受けた蔵人左少弁(くらうどさしょうべん)藤原貞光が文書化し、太政官上卿(だいじょうかんしょうけい)に伝えたもので、宿紙(しゅくし)(薄黒紙)を用いています。

「藤原友貞」とされ、「遠山」とは云われません。

正式な宣旨(せんじ)は次のようです。

naegi-toyama_intro_20161001_3.jpg

宣旨 従五位下藤原朝臣(あそん)友貞

正三位(しょうさんみ)行権中納言藤原朝臣季賢(すえたか)

宣奉 敕(ちょく)件人宜令任

信濃守者

寛文元年十二月廿八日

大外記(だいげき)兼(けん)掃部頭(かもんのかみ)造酒(さけのかみ)正中原朝臣師定(もろさだ) 奉 これが承認されるには、親王が宣じ、奉行2名が扱いますが、大納言・中納言18名が連名し、次に関白・太政大臣らが認めをしたことが、別の資料(位記)からわかります。

以上の4文書は、寛文元年12月28日の日付となっています。通常、叙位などは年末終日に行われたようです。

年が明けると、1月に友貞からの礼金(諸大夫成官物(しょたいふなりかんぶつ))が出されます。これによると天皇には黄金1枚、皇后以下18名に銀子27枚、他に各部所それぞれ銀60目など、多額の礼金が出され、名誉な官位は高価なものでした。小大名では大変な経費だったと案じます。

なお官位は、4代友春は和泉守、5代友由は伊予守など異なります。(ち) 2018年1月16日掲載(最終更新 : 2018年1月16日) 中津川市苗木遠山史料館 〒508-0101 岐阜県中津川市苗木2897番地の2

電話 0573-66-8181 ファクス 0573-66-9290

中津川市苗木遠山史料館

〒508-0101 岐阜県中津川市苗木2897-2
電話番号0573-66-8181
ファックス0573-66-9290
メールによるお問い合わせ