【資料紹介70】没後400年の遠山友政の墓碑

更新日:2021年05月25日

【資料紹介】没後400年の遠山友政の墓碑

没後400年の遠山友政の墓碑

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関ケ原合戦の後、苗木藩初代大名となった遠山友政 は元治5(1619)年12月19日に64歳で多事多難の 生涯を閉じました。遺骸は雲林寺の御霊屋(おたまや)(祠=建物) に葬られました。

その後の遠忌(おんき)を見ると、99年後の百遠忌(墓碑に は「三万六千還忌日」とある)は享保3(1718)年霜 月(11月)に行われ、その時に友政の御霊屋は取り払 われ石碑に建て替えられました。5代藩主遠山友由の 時でした。以降、明治初年まで遠山家の御霊屋はすべ て100年経つと石碑に取り換えられています。その時、 位牌は雲林寺本堂の裏の位牌堂(十三仏堂)に移され たようです。

さて友政の二百遠忌は文政元(1818)年11代藩主 遠山友寿(ともひさ)が執り行いました。法要は2ヶ月早めて10月 17~19日の3日、雲林寺で。17日は全僧で頓写(供養 のため大乗妙典を書き写す)。午後3時頃頓写済み焼香 の儀。18日、懺(ざん)法(不明)始まる。午前11時から午後 2時までで全僧退去。読経と焼香。19日は熨斗目(のしめ)大紋 烏帽子(えぼし)着用。読経済み焼香。御霊屋にまかり越し焼香 し直ちに帰城。

これらは友寿の苗木日記に詳しく書かれています が、友寿は別帳に「文政元戊寅年十月十九日 雲林寺 殿二百年回御遠忌法事之節一件 瓠(ほう)斎(さい)(友寿のこと)」 と法事の記録を残しています。

次の二百五十遠忌は、江戸時代から明治に替わる 激動の明治元(1868)年10月17~19日、12代 遠山友禄の「覚秘録」に「雲林寺様(友政のこと) 弐百五十回御忌法会修行委細は別帳に誌し置く」と ありますが、この別帳は未確認です。

なお1868(慶応4=明治元)年2月江戸から戻った 友禄は雲林寺住職剛宗(こうじゅう)に「これまで亡くなると御霊屋 に入れられ、百回忌の処で石碑を建てたのは宗旨の法則 なのか」と問い、そうではないとの返事を聞くと、今は 「戦国の世」となったから従来を改め、すぐ石碑を建て るようにしようと提案しました。(「覚秘録」)

2020年1月10日掲載(最終更新 : 2020年1月21日) 中津川市苗木遠山史料館 〒508-0101 岐阜県中津川市苗木2897番地の2

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