【資料紹介】 遠山友禄の漢詩

更新日:2022年03月05日

遠山友禄の漢詩

江戸後期の苗木藩主11代遠山友寿・12代友禄父子は膨大な日記を残しましたが、(かたわ)ら和歌を多く詠ったことが知られています。友禄は父と比べて和歌は少なく、(わず)かに1冊が現存するだけですが、その友禄は漢詩をよく嗜みました。時代の流行によるかも知れません。

苗木遠山史料館には、友禄の「詩集一」「南陽詩集」等があり、ここでは「霞城詩集一」(苗木城内で数人の歌友と幾つかの題をあげて詠った七言絶句集)から一首を紹介します。(右の写真は原書)

  (注) 友詳・・のちの裕禄

  (注) 塘・・・ため池
 

四阿の池に蛙の鳴くを聞く

庭の樹々に雨が来て 晩には更に涼しくなった

前の池では蛙の群れが 意を得て喧しい

聴きに出ると枕元に歌が残り 寝付きにくい

農事は今からきっと 忙しくなることだろう
 

これは文久4(1864)年の夏に詠われたものと思われます。文久2年秋、幕府の若年寄を退任して、久々に苗木へ帰り、疲れを癒した日々に作られた漢詩です。数か月後には江戸へ呼ばれ、再び若年寄という重職に就く合間の安らかな心境をうかがうことができます。

  この池は、風吹門前からさくら公園へ向かう途中の、北門の近くにある小さな池のことかもしれません。

明治16(1883)年に旧臣新田淳が記した「苗木明細記」には「夏4月頃この池へ(ひき)(かえる)夥しく出て子を生ず。年々替わることなし。一つの奇というべし」とあります。