山口地域の由来・歴史
由来
天正18年(1590年)まで木曽義昌の所領であったが、豊臣氏が義昌を下総に移し、犬山城主石川備前之守が支配した。徳川家康に至り慶長5年(1600年)山村良勝が管轄し代々代官がおかれた。明治2年山村氏が代官をやめ尾張総官所を福島へ移し、同4年名古屋出張所と改称する。同5年政を筑摩県に移し、同9年長野県管轄となる。明治7年9月田立村と合併して、山田村と称し、同15年6月分離復旧し同18年連合村となり同22年町村制実施に際し組合村となる。同31年組合を解いた。昭和33年10月14日神坂村の一部(峠、馬籠、荒町の区域)が山口村に編入され山口村大字神坂となった。平成17年2月13日長野県から岐阜県中津川市へ越県での編入合併を行い、山口地区は中津川市山口、神坂地区は中津川市馬籠と称していたが、平成31年4月に中津川市馬籠(山口地区、馬籠地域)は、神坂地区に行政区統合され、現在に至っている。
歴史(年表)
昭和33年10月神坂村の三地区(峠、馬籠、荒町)が編入合併する。
34年9月村立神坂小学校が完成する。
34年9月伊勢湾台風襲来、被害甚大。
35年10月山口中学校新校舎が完成する。
36年4月みさか幼稚園を開園する。
38年1月山口村有線放送を開設する。
39年9月台風20号襲来、雨乞石橋流失。
40年6月神坂地区境界決定の覚書調印。
43年5月西筑摩郡が「木曽郡」と改称される。
45年2月中津川市教育委員会との「神坂地区の教育正常化」の覚書の締結。
45年3月神坂簡易水道施設が完成。
48年4月小諸市、大磯町、山口村が藤村文学の姉妹都市締結をする。
50年7月七夕集中豪雨災害発生。
50年11月山口村村章を制定する。
53年9月皇太子、同妃殿下御行啓。(馬籠宿)
54年11月山口小学校新校舎、体育館完成。
55年4月過疎地域の指定を受ける。
57年4月村民センター(中央公民館・老人福祉センター)が完成する。
58年4月農村情報連絡施設「こうほうやまぐち」が開局する。
58年9月台風10号が襲来、雨乞石橋流失。
58年11月村民憲章を制定する。
61年3月雨乞石橋(永久橋)が完成する。
63年10月「ふるさと馬籠ごへー祭り」第一回目が開催される。
63年11月村花村木指定。
63年12月新深沢橋が完成する。
平成元年2月坂下病院神坂出張所診療開始。
元年3月主要地方道中津川・南木曽線峠バイパスが完成する。
2年3月山口村総合グランドが竣工する。
4年3月やまぐち幼稚園新園舎が完成する。
5年7月村道1-2号線(藤沢線)改良工事が完成する。
5年10月馬籠ふれあい広場が完成する。
7年3月新弥栄橋が完成する。
7年8月国道19号道の駅「賤母」及び「東山魁夷心の旅路館」がオープンする。
7年11月東山魁夷画伯を名誉村民第一号に推挙する。
8年 5月「馬籠温泉」湧出。
8年11月乙姫大橋が完成する。
9年4月デイサービスセンター「椿苑」オープンする。
10年4月 まごめ地区下水道一部供用開始。
10年11月神坂小学校全面改築が完成する。
12年8月高齢者ふれあいセンター「つつじ荘」オープンする。
13年3月県営ふるさと椿街道が一部供用開始。
14年2月シルバー工房生きがいセンターが完成する。
16年2月合併に関する村民意向調査を実施する。
16年3月山口村議会が中津川市との合併関係議案を可決する。
16年12月坂下病院神坂診療所閉所。
17年1月総務大臣が合併を決定、告示。
17年2月山口村閉村。
山口村と恵北町村が中津川市に編入合併する。
山口村役場は山口総合事務所に改称する。
17年 3月みさか幼稚園・神坂小学校・山口中学校は閉校し、近隣校へ統合する。
18年5月木曽農業協同組合山口支所・神坂出張所が閉所する。
20年3月農産物加工施設「加工センター花ぐし」が完成する。
23年3月山口UIターン者用住宅「山口団地」が完成する。
24年10月昭和63年に始まった「ふるさと馬籠ごへー祭り」が第25回をもって幕を閉じる。
25年3月馬籠UIターン者用住宅「馬籠団地」が完成する。
26年4月山口総合事務所が山口公民館へ統合。
26年11月「ふるさと椿街道」が22年の歳月を経て全線開通。
31年4月馬籠地域が神坂地区へ行政区統合。
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更新日:2021年06月17日