川上地域の由来・歴史

更新日:2021年06月17日

由来 

合併前の「川上村」の由来は、天正17~18年(1589~1590年)にかけて行われた美濃検地によって村の境界が定められ、「かをれ村」として成立したのでないかと言われ、慶長11年(1606年)に「川上」の字が見え、同14年に「川上村」と記されています。しかし、呼び名は「かをれ村」と呼ばれていて、現在の呼び名である「かわうえ村」と呼ぶようになったかははっきりしていません。
また、村の中央を流れる川上川の上流に位置し、川岸段丘上に発達した地域であり、川上の上には川の上流と岸の上という二つの特徴が込められていて、地の方言で「川の上(うえ)の方」ということから、「かわうえ村」と呼ばれるようになったとも言われています。
同じ川上でも全国地名索引では「カワカミ」が主で、「カワウエ」という地名索引はここだけです。

 

歴史(年表)

明治22年(1889) 岐阜県市制・町村制を施行する(7月1日)川上・上野・坂下村三か村を合併し坂下村を設置旧村を大字とし区を設ける

明治26年(1893) 坂下村会旧来の三か村に復し組合村組織にすることを決議する。

明治27年(1894) 浄光寺全焼する(3月)

明治38年(1905) 坂下村より大字川上分離し川上村を設置する(7月1日)。

明治39年(1906) 川上村尋常学校と改称する。教育会・農業会・衛生組合・青年会設立

明治42年(1909) 小学校舎落成(11月)

大正 4年(1915) 川上村尋常小学校に高等科(2年)を設置

大正10年(1921) 日本で初めてとなる学校給食が始まる

大正12年(1923) 郡制廃止。川上川大洪水、橋全部流失する(7月18日)

昭和元年(1926) 坂下駅~丸野間に坂川鉄道開通する

昭和 7年(1932) 山村失業救済事業により上平~丸野間2,364メートル林道工事着手、川上川大洪水、家屋四軒流失する

昭和21年(1946) 診療所開設

昭和27年(1952) 川上村教育委員会設置

昭和37年(1962) 川上村役場位置を川上村284番地-1とした

昭和51年(1976) 夕森簡易水道全村給水開始する

平成 2年(1990) かわうえ大橋開通

平成13年(2001) 保健福祉施設「かたらいの里」運営開始(5月)

平成16年(2004) ケーブルテレビ施設運用開始(1月)インターネット接続サービス開始(7月)

平成17年(2005) 中津川市と合併

平成19年(2007) 川上総合事務所を保健福祉施設「かたらいの里」内へ移設

平成22年(2010) 旧川上村役場(旧川上総合事務所)庁舎取壊し

平成24年(2012) 旧川上村役場跡地に「UIターン者用住宅(若者定住促進住宅)」竣工(3月)

平成24年(2012) デイサービスセンター「すずらん」開所(5月)

 

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