勤勉彊直(きんべんきょうちょく)

更新日:2021年06月18日

勤勉彊直の文字と説明文画像
記念碑の全景画像

蛭川村閉村合併記念碑(蛭川総合事務所西駐車場)

概説

蛭川には「勤彊」という心の財産があります。勤彊とは「勤勉彊直(きんべんきょうちょく)」を言い、強い意志と真っ直ぐな心で仕事や勉強に精を出して励むことの意味です。

蛭川の人々はこの言葉を長きにわたり胸に刻みながら、地域づくりを行い、蛭川を支えてきました。 写真の記念碑は、中津川市との合併を記念し蛭川村としての足跡を後世まで残すため、蛭川総合事務所西駐車場奥に設置されたひるかわ石を使った記念碑です。

記念碑には、奥村弥太郎さんの揮毫による「勤勉彊直」の4文字が表面に、裏面には、勤勉彊直の意味とその精神(興村教育)のもと蛭川村民が培ってきた歴史と文化、そして今後の地域発展を願う樋田前蛭川村長の碑文が刻み込まれています。 幅6メートル、高さ3.5メートル、重さ約30トンの巨大な一枚岩を蛭川の石工技術を駆使し作成された、精密かつ豪快な記念碑です。

碑題字

勤勉彊直(きんべんきょうちょく)

揮毫

奥村彌太郎氏

裏面碑文

蛭川村には「勤彊」という心の財産がある。 勤彊とは「勤勉彊直(きんべんきょうちょく)」を言い、強い意志と真っ直ぐな心で仕事や勉強に精を出して励むことの意である。

明治の始め、蛭川村にできた最初の小学校を勤彊義校といった。奥田正道が自宅に開いた苗木藩校日新館の支校を前身とする。蛭川村は、明治四十三年に地方自治の功績により模範村として国から表彰を受けた。それは、この学校を巣立った人たちの協働労作の結果であった。昭和の始めにはその名前にちなんだ勤彊義塾で、若者が協働と報徳を基本に、村の再興に燃え、寝食を共にした。真剣な労働は、お互いの心を磨く訓練となり、農村更正の原動力となった。のちに「興村教育」として大きな評価を受けたのである。今は小学校、中学校とも勤彊を校訓にしてその心を受け継いでいる。

情報化社会、国際化時代の到来を迎え、大きな変革の時代であればこそ、勤彊の心が生きる。これからも郷土蛭川が「勤勉彊直」を柱に、力と心を合わせて、未来に夢を持つ次代を担う青少年の育成と連帯感ある豊かで活力あふれる地域づくりに励むことを願いとする。

平成十七年二月 蛭川村長 樋田邦彦

 

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