第3分団

更新日:2021年06月14日

長楽寺の文化財

十一面観音像 (中津川市指定文化財)

観音像の画像

たいへん貴重な仏様で、九万九千日の日以外は見ることができません。像の高さは1メートルほどの寄木造で室町時代の作といわれています。 伝説によれば武田勝頼の軍勢が攻めてきた時、この観音様を武田軍が川に投げ入れたところ川上にさかのぼっていったため、武田軍はそれを見て驚き逃げていったといわれています。

風天使

風天使の画像

風の神様で風の袋を閉じた神と開いた神とその守護神が祀ってあります。風天使はもともと風神神社にもありましたが、風神神社の里宮として長楽寺にご神体を移して祀ってあります。長楽寺の真海大和尚が元和4年(1618年)に奈良の竜田大社のご分霊と一緒にお迎えしたと言われています。

長楽寺の大イチョウ

黄色に色づいた大イチョウの全景画像

樹齢はおよそ800年以上といわれ、幹周約8.5メートル。樹の高さは約25メートル。昭和42年に岐阜県天然記念物に指定されました。この樹は幹の途中の大木部分とそこから生えた幹の部分に分かれていて、この理由については大根木橋を作るため途中で伐られたと言われています。また伐った所が黒く焦げていて、腐らないように焼かれていると言われています。もし切られていなければ天を突く巨木になっていたことでしょう。

道標

道路横に立っている道標の画像

昔、風神神社へ行くのには長楽寺の前からの道が本通りであったことを示す道標で、右風神、左中津と彫られています。今の道は昭和16年に朝鮮の人々により広められました。

井戸川用水(下ゆ・真原山野田用水)

川からの用水取水箇所の画像

真原地区を流れるこの用水は、汚れた水などを流さないよう排水についても厳しい約束が守られて生活用水として使われていました。この用水は農業用にも使われ、真原・山野田で水の分配について永い間話し合いが行われたのち、真原7、山野田3の割合で話し合いが付き、水路には7対3に分配するよう鉄板がはめ込まれています。

阿木簡易水道の集水井

簡易水道の浄水施設画像

阿木地区の簡易水道の水源。取水場所を決める際、井戸川用水に配慮し、取水口を井戸川用水の取水口よりも下流に設置しています。水道は浄水場から次の資料の写真右側にある配水池にポンプアップし、阿木地区全域に配水しています。阿木川の向かいにある中学校方面にも、サイフォンの原理を使って配水しています。写真右下の管が井戸川用水です。

明治用水 (殿様井水)

明治用水と呼ばれる水路の画像

阿木川上流の一の沢から山野田まで伸びている用水で、明治維新の時、岩村の殿様が藩のお金を使って造りました。その時間違えて掘った水路跡が山野田・真原に残っています。当時は殿様井水といわれていましたが、水路が傷んで修理をする時に水路に名前を付けなさいと言う県の命令で、明治用水と名前を変えました。また右奥に見えるのは簡易水道の配水池です。

分水

水路途中の分水枡の画像

真原・山野田地区は共に井戸川用水を生活用水としていましたが、水の分配について諍いが絶えませんでした。そこで長い時間をかけて話し合いが行われたのち、真原7、山野田3の割合で水を分け合うと言うことで話し合いが付き、この分水枡で水を分け合うようになりました。浅間神社にある水神碑はこの証として建てられたといわれています。

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