第6分団
消防団3部詰め所

大正9年阿木村公設消防組創設。昭和8年阿木村少年消防結成。昭和14年阿木村警防団が発足、当時の団員は232名であった。昭和22年以降自治消防の時代となり、消防団旗が制定された。昭和32年中津川市に合併し、中津川市消防団阿木分団となる。阿木分団は4部制で団員100名、装備は、自動車ポンプ2台、可搬ポンプ2台であった。昭和61年阿木消防団本部詰所・3部詰所・器具庫併設で完成。(平成10年4月3部再編成、平成10年10月1部詰所完成)
中津川市立阿木小学校

寺子屋9ヶ所、明治6年稽徴義校(萬嶽寺)・新風義校(禅林寺)、明治10年阿木学校、明治14年広岡・飯沼学校、明治19年阿木尋常簡易小学校・飯沼・広岡簡易小学校、明治30年飯沼・広岡統合広岡分教所明治33年阿木尋常高等小学校、昭和16年阿木国民学校、昭和22年阿木小学校・新制中学校できる、昭和24年阿木中学校新築、昭和37年広岡分校統合、むかしは阿木高校の所にあったが、校舎が古くなったので、昭和39年今の場所に移った。運動場の整地には、自衛隊が行った。
藤上クラブ

藤上神社境内にあったが、平成15年12月に竣工した。
野内クラブ

野内組は、薬師堂を使用していたが、昭和11年建設、昭和59年県道阿木大井線改良のため、曳き家移転建設。
本庄クラブ

平成13年まで民家を使用していたが、新築される。
阿木保育園 阿木公会堂跡

昭和35年季節保育園始まる。昭和37年僻地保育園始まる。昭和58年今の地域振興センターの所にあったが、公会堂がこわされて、今の場所に移った。舞台 文政1年広岡・大野舞台、文政2年飯沼神明神社舞台、文政3年見沢八幡神社舞台、文政5年阿木舞台棟上、安政6年見沢舞台を取壊し安岐座建設始まる、万延1年安岐座完成、大正3年阿木公会堂となる。昭和18年軍需工場となる。昭和57年公会堂取壊し。
中津川市立阿木高等学校

昭和10年青年学校始まる。昭和24年阿木高等学校定時制開校される。校舎は、上の温室の所にあった青年学校を使っていた。
旧阿木川橋

昭和13年改修される。昭和32年の大水で橋の左側の部分がけずり取られ、川幅が広くなった。それまでの阿木川は、コンクリートの橋の部分だけの川でした。
寺領クラブ

むかし、ここに十王堂という庵があり、中に弘法様が祭られていた。集会所を作った時弘法様を安置した。ここを念仏堂と呼んでいたが、今は集会所となっていて、阿弥陀如来様が祭られている。この建物は、組の皆が、山から木を切り出して作った。
阿木事務所

大正7年阿木村役場新設。大正10年役場に電話がひかれる。昭和26年現農協阿木支店の所にあった阿木村役場に阿木公民館を設置。昭和32年11月中津川市と合併、昭和46年今の所に阿木公民館建設、昭和48年阿木公民館に阿木支所移転、平成11年阿木コミュニティセンターととなり、平成23年阿木事務所となる。
阿木地域振興センター

昭和58年阿木川ダム公共補償で1階は阿木地域振興センター・2階は郷土館として建設された。今は診療所として一部使用されている。2階は倉庫となっている。診療所は、明治43年避病院事務所できる。昭和14年県立阿木診療所設立。
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更新日:2021年06月16日