No.5 地域で作る地歌舞伎

更新日:2022年12月19日

中津川市で地歌舞伎の役者、振付師として活躍する伊藤麻里さん。

クオリティの高い地歌舞伎を地域で作ることにこだわって振付師をされています。

そんな、新しいことに挑戦し続ける伊藤さんからお聞きした内容を聞き書き風にまとめました。

 

もう少し詳しい内容はこちらからご覧ください。(PDFファイル:1.4MB)

 

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  • プロフィール

伊藤麻里です。9月で48歳になりました。

地歌舞伎の振付師をしています。住まいは中津川市内の本町です。

主人と中学校2年生の男の子と小学校4年生の女の子がいます。

 

  • 家族みんなで地歌舞伎に関わる

主人が浄瑠璃の三味線を弾いていますので、生まれたときから三味線が聞こえてきて、私の稽古するセリフが聞こえるなかで生きてきたので、子どもたちは自然と小さいころから歌舞伎をやっています。そろそろ、息子には裏方の黒子として、後見という仕事も少しずつさせるようにはしています。

伊藤麻里さん
  • 歌舞伎を始めたきっかけ

文化会館の歌舞伎講座です。縁を感じるんですが、子ども歌舞伎講座は1年かけて1幕を勉強し、定期公演に合わせてやっていきます。公演まであとひと月、おばあさん役が決まらないピンチのときに、歌舞伎保存会の方が子ども役者を一生懸命探して。うちの母に話が来たわけです。私は何にもわからないので別にいいよと言って、私はマンツーマンで中村高女(たかじょ)師匠がとにかく「真似をしなさい、真似をしなさい。」と教えていただく中、よく分からないまま稽古をし、やっとセリフや所作も入り、みんなと合流したときに、みんなすごい棒読みなんです。そうすると「私ちょっと才能ある?」と子どもながらに勘違いします。勘違いして本番を迎えて、一人だけ違うので大人に「あの子はどこで借りてきた子や、すごいすごい。」って褒められた小学校3年生はどこまでも登っていく。(笑)

「来年もやりたい、来年もやりたい」がずっと続いてきた感じです。いろんな意味で、「ああ、いい時期、いい縁、いいめぐり合わせだったな。」と思いながら。

  • 中津川と地歌舞伎

岐阜県には地歌舞伎保存会が27団体ありますが、東濃だけで15団体。中津川に6団体。ここまでぎゅっとこの狭い地域にいくつも保存会が残っている地域はない。この常盤座が残っているのもそうですけど、全国にずっとあったのに戦争で焼けたり、映画館になったりと、芝居小屋がなくなっていきました。この辺では焼けずに残り、映画館にならなかったこと。この地域にたまたま地歌舞伎保存会が多く、衣裳やかつらが焼けずに残ったこと、地歌舞伎が盛んなのはそれが一番大きな要因じゃないかなと思います。

 

  • 明日からやらなきゃいけなくなった振付師

中村高女師匠は、恵那の方です。ご主人は3代目中村津多七(つたひち)ですが、だいぶ前に亡くなられています。中津川の吉田茂美さんという方が4代目の中村津多七を襲名されて、中村高女師匠と一緒に教えられていましたが、8年前に津多七も癌で亡くなってしまいました。当時高女師匠が80歳、津多七が60歳、私が40歳。ちょうどいい感じで渡していけるね、と話していたのが、真ん中が抜けてしまって、さて困った歌舞伎ができなくなってしまうと。私はいつかはやらなきゃいけないと思っていましたけど、あと20年あると思っていたのが明日からやらなくちゃいけないような状態になりました。

これはなんとかするしかないということで高女師匠について6団体を回りながら勉強させていただいていましたが、やっぱり経験が無いので4代目中村津多七のようにはどうしてもいかない。しかも女だし、若いし、それが邪魔で邪魔で仕方なかったです。私は42歳の時に「うまくなりたいので教えて下さい」と京都の先生にお願いに伺って。今、お世話をしてくださってるのが京都の振付師、岩井小紫(こむらさき)師匠です。

私は10歳から芝居をしていましたので自信がありました、もちろん振付師になるつもりでいましたので、私ナンバーワン役者だわってどこかで思っていました。京都の師匠に習っている方々と並んだときにもう愕然とするレベルの差!今まで自信があった鼻をみごとにへし折られ。一から学び直さないとこれはどこでも通用しないと気づき、上には上がいることをすごく感じて。真剣に通わせていただいています.

定期公演の様子
  • コロナ禍で続けていく公演のかたち

定期公演は3月の何週目とか、1月の何週目とか決まっているので、だいたい2カ月前から稽古に入ります、みなさんの仕事が終わってから集まって「もう次の日になっちゃうで帰るぞ」とか言いながら。今はそれこそコロナで、早く帰る感じにはなっていますが、ちょっと前までは遅くまで芝居について話したり。

芝居小屋は椅子席のように区分けができないのでなかなか難しいものがあります。でも常盤座は今年の6月に定期公演を久しぶりにやりました。

芝居小屋はツアー客が多いです。公演の日に合わせてバス会社さんがドンと連れて来て下さってという芝居のやり方でしたが、今回はツアーはお断りさせていただいて。地元の方と、情報を自分で仕入れた遠方の方がおみえになりました。

ソーシャルディスタンスで、席を広くということをしてみたり。 「なんとか屋!」って声をかけるのが大向こうですが、やっぱり地芝居は大向こうも演出の1つですので、そういうものがかかると役者はピリっとしますし。そういうことも考えて大向こう席をビニールを張って、飛沫を防ぐように作って実施してみたり。

元には戻らないかもしれないですけど、なんとか元のかたちに近づけられるような感じでできればなと私が提案したら「よし、やろう!」というふうに保存会も賛成してくださって。芝居小屋でのウィズコロナみたいに、コロナ禍でも続いていくモデルになればいいなと思っています。

  • 地域の三世代で作る地歌舞伎

こうやってお年寄りから若い子まで三代で関われることは本当に少ないので。子どももお年寄りも関係なく1つの芝居というものに取り組んで、同じように叱られて。1つの芝居をみんなで作り上げるという作業。

やっぱり地歌舞伎の地は、私は地域の地だと思っていて。そこの地域で作り上げていくということだと思うので、やっぱり地域で守っていくには地域で役者とかを育てていかないと。

常盤座
  • 次につながるように地域で守り育てていく

ずっと守り続けていく古典というものはありますし、決まった型もある。守るべきものは守る。ただ、今の時代に合ったことをしないと、ただ古臭いだけのものになってしまう。時代に合わせて変えて行かなければいけないものは絶対あって。今までも変わってきているはずなんです。「新しいこと」は批判をいただくこともありますけど、守るべきところは守る、変えていくところはちゃんと変えて行くことが長く続かせることにつながると信じてやっています。

ここ福岡にはありがたいことに芝居小屋があって、この芝居小屋を守っていこうとする保存会のメンバーがいて、私は中津川の人間ですけれどもこの地域が羨ましいなと思います。そういう大人が一生懸命になれば、子どもだって絶対に何かを感じて次は自分たちが守っていかなくちゃいけないのかなと考えてくれるかなと。全員じゃなくてもいいので、そういう人を育てていきたい。地歌舞伎の長い歴史の中で、私も点なんです。この点が続いてきたのがたまたま線になってる。私のところで点が終わってしまうのは申し訳ないので、私も次の点につながるように人を育てることだと思っています。

伊藤麻里さん
  • これからの地歌舞伎

今はプロの役者さんの動画なんかも全部見れるので、勉強もしやすいと思う。よく鏡を見て稽古しなさいと私は言いますが。昔は楽しければよかったのが、今はどう見えるかまで考えなさいと。私も「次この芝居をやろうと思うけど」と保存会さんに相談された時、知らなかったらYouTubeで探しますので、上手くないものはハイ次って絶対になります。でも最初の第一声がすごい上手かったらもう最後まで見てしまうし。テレビの画面を通してどうやって見えるかということまで考えないと今はもうやっていけない。

振付をした所や、太夫で行った所とか私が役者で出ている芝居とかを、「マリさんと【女流歌舞伎】」という名前のYouTubeでチャンネルを出していて。その中にコメントをつけたりしてアップしています。

そのYouTubeで「わはは」と笑って興味をもってちょっと見に行ってみよかとか?そういうふうになって中津川市に来ていただき、泊まっていただき、そして通っているうちにここに移住しようかとかそういう話になってきたら、もう一番良い。地歌舞伎を見てほしいし、できたらここに住んで一緒にやってみましょうよと。

  • 目指す地歌舞伎

一日公演の中で、新人ばかりの幕、子どもたちの幕、そして一本どこにも負けない芝居があります!というのが私は一番いいかなと思うので、パっと見ても「ああ素人の歌舞伎ね。」ではなくて、「こらあ素人でもこんだけやられちゃったら、ちょっとプロとして恥ずかしいな。」ってプロの役者が言うくらいの芝居を私は作りたいなと張り切っています。

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