《苗木城跡を歩く34》大門と刑部石

三の丸から大門跡を見る
三の丸から二の丸、天守を目指して歩くと大門(おおもん)跡がある。この門は城内で最も大きい門であったことから大門と呼ばれた。慶長5(1600)年に遠山友政が苗木城を奪還するまでは、大門が大手門(おおてもん)にあたり、その前には空堀(からぼり)があり、往来できるように橋が架けられていた。
大門の門番役は足軽が担当した。ここからは、普通の百姓などは入れなかった。藩主が参勤交代など江戸へ出立、在着、あるいは正月三ケ日などは開門された。ただ普段の出入りでは門の片隅に設けられた潜(くぐ)り戸を利用した。門番所は二の丸側に作られていた。
門の左奥に、自然石に階段が掘りぬいてある。2代藩主秀友(刑部)が小柄だったので、この石から馬にまたがったと伝えられ、「刑部(ぎょうぶ)石」と呼ばれている。
苗木交流センターだより令和6年8月号掲載

苗木城CG復元図 大門・菱櫓門・天守
制作 浅野孝司
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更新日:2024年08月02日