木曽五木あれこれパート2

更新日:2023年08月26日

日本人と木

日本人と木、古くは『日本書紀』にも記されています。『日本書紀』は養老4年(720)年に完成したとされる最も古い史書の一つです。

その文中でスサノオノミコトが自らのヒゲを抜き放つとスギの木になり、胸の毛を抜き放つとヒノキになり、尻の毛はマキになり、眉の毛はクスノキになったといいます。それぞれの木の利用方法も定められており、スギとクスノキの両木は舟の材料とし、ヒノキは宮殿を作る材料とし、マキは棺桶の材料として用いるよう記されています。

ヒゲや胸毛から木が誕生したことは疑問がありますが、昔から木の特徴を知り利用していたことがわかります。

なぜ木曽五木にスギが入っていないのか

「なぜ木曽五木にスギが入っていないのですか」と入館されたある方から質問を受けましたので、さっそく調べてみることにしました。

スギは温暖湿潤な気候を好む樹木です。日本列島の天然杉の分布は年間降水量が2000ミリを超える地域であることが知られています。氷河期が終わり温暖湿潤化が進むとスギは日本列島に拡大し、本州の日本海側と東海地方の年間降水量2000ミリ以上の地域に特に広がりました。(高桑, 2010)1

木曽山林資料館(木曽町)によると、木曽谷の森林率は9割を超え、その内天然林は木曽五木(ヒノキ・サワラ・ネズコ・アスナロ・コウヤマキ)とモミ・ツガ等の針葉樹およびナラ・ミズメ・カンバ等 の広葉樹です。人工林はヒノキ・カラマツが主で、スギはわずか1%あるだけです。スギの適地は木曽南部の一部の地域に限定されており木曽谷はスギの生育に適していないとのことです。

以上の事から推測すると、木曽谷は温暖湿潤な土地ではなくスギの生育には適していなかったため、スギは「木曽五木」に指定されるほど豊かな植生を形成していなかったと考えられます。

スギは御停止木(ごちょうじぼく)=「木曽五木」には指定されませんでしたが御留木(おとめぎ)となっていました。御留木とは民間材の保護を図るもので、尾張藩の許可があれば村民が伐採し利用することができました。御留木については御停止木より種類が多かったため、尾張藩から御山守(おやまもり)として任命されていた内木彦七(現中津川市加子母)が村内の庄屋・組頭に対して、たとえ立枯木であっても伐採してはならない12の樹種を周知しています。その樹種とは【ヒノキ・サワラ・マキ・マツ・トド・マサギ・スギ・クリ・サクラ・ホオ・イヌダラ(ハリギリの異名)・エンジウ】の12種類とのことです。(栗原・高木, 2022)2

参考文献

  1. 高桑進『杉と日本人のつながりについて』   京都女子大学宗教・文化研究所(2010)
  2. 栗原健一・高木謙一『森林利用の秩序と御山守・村』徳川林政史研究所(2022)

中津川市中山道歴史資料館

〒508-0041 岐阜県中津川市本町二丁目2-21
電話番号0573-66-6888
ファックス0573-66-7021
メールによるお問い合わせ