⦅中津川宿32⦆昔の中津川宿の街並み
明治時代の中津川宿の街並み
上の写真は、明治中頃の中津川宿の街並みで、手前側から淀川・新町・本町・横町・下町・中津川の様子がうかがえます。
この時代の家々の屋根には丸くやや平たい無数の石が置かれているのが見えます。ほとんどの家がこのような屋根で作られていました。
この情景は、享和2年(1802)に大坂での任を終え、中山道を通って江戸にる大田南畝(蜀山人)が目にした中津川宿の街並みを想起させます。
南畝は、写真の手前側の茶屋坂を上った辺りから振り返り見て、「屋根の上には大きなる石をあげて屋根板をおさふ、、、」と「壬戌紀行」に記しています。
明治の中津川にはこのような板屋根の商家が多くありました。今も変わらないこの道筋は江戸時代から多くの大名・お殿様・宮様方も通られ、和宮内親王の降嫁を経て大正・昭和・平成に至り、令和の現在もその名残を感じることができます。
中津川宿について
中津川宿の歴史は本町から
「上ハ町」と「下タ町」
「上小路」と「下小路」
中津川市中山道歴史資料館
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更新日:2023年02月07日