⦅資料紹介16⦆解体新書と蘭学
[解体新書]とは
「解体新書」は、ドイツのヨハン・アダム・クルムスという医師が書いた解剖書のオランダ語訳「ターヘル・アナトミア」を日本語に翻訳した本のことです。
「解体新書」は、安永3(1774)年に発行され、5巻(本文4巻+図1巻)で構成されています。
「解体新書」の主な著作者は、杉田玄白、前野良沢、協力者として平賀源内、絵師小野田直武など。
「解体新書」の出版は、日本国内に蘭学が広まる大きなきっかけとなりました。
杉田玄白は晩年、「解体新書」の出版をきっかけに蘭学が全国に広がったことを振り返って、こう書き残しています。
「一滴の油を広い池の水に落とすと、広がってついには池全体におよぶという。私たちがふと思いついたことから始まって、50年近い歳月を経て蘭学が全国に広まった。喜ぶと同時に、驚きもしている」
この回顧は、明治2(1869)年、福沢諭吉はじめ有志一同が『蘭学事始』(上下2巻)の題名で刊行しました。
解体新書の内容は
解体新書の本文は4巻に分かれており、それぞれの内容は以下のとおりです。
図は別に1冊にまとめられています。
巻の一
総論、形態・名称、からだの要素、骨格・関節総論及び各論
巻の二
頭、口、脳・神経、眼、耳、鼻、舌
巻の三
胸・隔膜、肺、心臓、動脈、静脈、門脈、腹、腸・胃、腸間膜・乳糜管、膵臓
巻の四
脾臓、肝臓・胆嚢、腎臓・膀胱、生殖器、妊娠、筋肉
解体新書と蘭学
「解体新書」は刊行されると江戸で評判になりますが、そればかりかその後の文化・歴史を動かすほどの衝撃を世にもたらします。
「解体新書」で西洋の医学に触れた人々は、とても驚きました。
そこに書かれた内容は、従来の漢方の医学で紹介していたこととは全く異なっていたからです。
若者や知識人たちは、著者の杉田玄白などが開く蘭学塾に殺到し、そこで西洋の学問=いわゆる「蘭学」を学び始めます。
こうして、一気に「蘭学」が広まっていくことになりました。
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更新日:2022年11月02日