⦅資料紹介14⦆馬島靖庵の医師免許

更新日:2022年10月03日

靖庵の「医師免許」

馬島靖庵 医師免許

天保7年 眼科医師免許状

当館寄託 個人蔵

写真は馬島靖庵(まじませいあん)が天保7(1836)年、26歳の時に取得した「医師免許」です。


江戸時代の医師には、現在のような特別な資格は必要なく、自己申告が許されていた時代でした。

医師の資質の有無に関係なく、自分が医師だと言えば、それが通る世の中でもありました。


そのため、医師と名乗る者の中には、知識・技量・見識に欠ける者がいたようで、診たてや治療に問題があったという記述を、歴史資料の中で見かけることもあります。


こうした江戸時代の医療事情の中で、「医師免許」は大変貴重なものでした。

簡単に取得できるものではなく、正真正銘の医術を極めた者のみに与えられた称号でした。

靖庵の医師としての歩み

天保4補任

天保4年 法橋上人位補任状

補任

天保5年 法橋上人位補任状

補任6

天保6年 法眼和尚位補任状

当館寄託 個人蔵

靖庵の医師としての歩みは、どのようなものだったのでしょうか。


文化8(1810)年に医師の家系に生まれた靖庵は、幼少期(10歳前後)から医師になるための修行に出ており、天台宗明眼院(尾張国海東郡)の馬島氏に師事しました。


その過程で漢書研究、外科研学、史記研学などを修めながら、天保4(1833)年と天保5(1834)年には法橋上人位、天保6(1835)年には法眼和尚位を取得し、馬島姓を称することを許されました。


天保7(1836)年、26歳の時に中津川へ帰郷し、現在の新町、間家近くに馬島医院を開業しました。


その後も医術習得のために上京し、内科・産科などの医術を修め、現在の総合診療医のような存在となりなした。


医師としての位も法眼と高位なものでした。当時の医者の身分は僧侶と同じ扱いがされており、その称号は僧侶によく似たものでした。

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