⦅中津川宿1⦆中山道中津川宿

更新日:2021年04月01日

古代(奈良・平安時代)の昔より東山道の要衝にあり、江戸時代に整備された中山道の中でも賑わった宿場のひとつ。

幕末に尊王攘夷を唱えて戦った天狗党水戸浪士の墓、桂小五郎とその従者伊藤博文の隠れ家跡が今も残り、長州藩の中津川会議が行われるなど、江戸から明治へと変わる激動の幕末のカギをにぎった宿場でもありました。

旧脇本陣跡地と庄屋屋敷

旧脇本陣跡地と庄屋屋敷

中山道中津川宿

中津川宿は中山道の45番目の宿場町で、江戸から約335キロメートル、京都から約196キロメートルの場所にあります。

江戸時代中津川宿は、尾張藩の木曾衆の山村甚兵衛の領地で石高は1,334石6斗3升でした。

中津川宿の町並みの長さは約1.1kmで、天保14(1843)年の古文書によると、宿内人口928人、宿内戸数228戸で東美濃では一番大きな宿場町でした。

三と八のつく日には六斎市と呼ばれる市が開かれ、また恵那郡一帯の米の相場も中津川宿で決められるなど、商業の中心として繁栄していました。

江戸方から、茶屋坂、淀川町、新町、本町、横町、下町と町並が続き、横町には枡形という直角に二度曲がる道が残っています。

「五海道其外分間延絵図並見取絵図」 中山道中津川宿

中山道分間延絵図

五街道其外分間絵図並見取絵図 中山道分間延絵図_10巻之内7 東京国立博物館  Image:TNM Image Archives

五街道分間延絵図(ごかいどうぶんけんのべえず)」は、正式には「五海道其外分間延絵図並見取絵図( ごかいどうそのほかぶんけんのべえずならびみとりえず)」と言い、寛政〜文政年間(1800年ごろ)に江戸幕府の道中奉行が作成しました。

この絵図は、名称どおり東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中の五街道と脇街道が描かれたもので、実測の1/1800の縮尺で描き表されています。

中山道中津川宿もこの絵図で当時の宿場の様子が分かります。絵図には、問屋、本陣、脇本陣、寺社、道標、橋、高札なども描かれています。

木曽海道六拾九次之内 中津川

復刻版 木曽海道六拾九次之内 中津川(雨の景)

復刻版 木曽海道六拾九次之内 中津川 雨の景(当館蔵)

復刻版 木曽海道六拾九次之内 中津川(晴れの景)

復刻版 木曽海道六拾九次之内 中津川 雨の景(当館蔵)

中山道を描いた「木曽海道六拾九次」は天保六(1835)年頃着手され、当時、美人画で名をはせた渓斎英泉(1791年~1848年)が手がけ、途中、「東海道五拾三次」で成功を納めた歌川広重(1797年~1858年)に受け継がれた連作です。

「木曽海道六拾九次」には一つ宿場に一枚の絵が描かれていますが、中津川宿だけ2枚の絵が描かれています。その内、中津川「雨の景」 は世界で数枚の貴重なもので、連作の中でも傑作とされています。

中津川宿本町界隈の今昔

今の本町界隈

昔の本町界隈

今の街並みには、格子造りの酒蔵や栗菓子の老舗、うだつのある家屋が街道沿いに続き、宿場内脇本陣跡地にある「中津川市中山道歴史資料館」では、貴重な古文書を中心にさまざまな展示をしています。

中津川宿の機能

宿場には旅人を泊めさせたり、休ませたりするという役割と、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を次の宿場まで運ぶという業務がありました。そのため宿場は、本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心となっていました。

旅人の宿泊、休憩施設

本陣 1軒 市岡長右衛門

脇本陣 1軒 森孫右衛門

旅籠 29軒

人と荷物の継立(人足や馬の確保)

問屋場 2箇所 本陣と脇本陣が問屋を兼務

問屋場 2箇所 文書の輸送(飛脚業務)

中津川宿の特徴

ちょうど江戸と京都の中間地点にあって、東西の道である中山道、それから飛騨から中津川を通って、飯田や三河へ抜けていくことができる飛騨街道、また、名古屋へ行く下街道などがあって、東西南北に交差する街道の要所でした。

交通の要所であったから物が行き交い、周りの村の人々や生活に必要な物資が集まり、商業が盛んでした。物が行き交い、商人が活躍すれば、当然お金も行き来し、経済が発展し、豊かな商人たちが多くいました。

物が行き交うことは人と人が交流することです。人が交流すれば情報だけではなく、文化(人)の交流も盛んとなり、和歌や俳句(俳諧)を楽しむ人も多くいました。こうした文化の発展の中心になった人たちは、経済的に豊かな商人や、本陣、脇本陣、庄屋、山村代官たちでした。

情報の大切さは昔も今も変わりません。その情報がいかに速くて、正確かによって事の成り行きが変わってきます。まして、幕末から明治維新に至る激動期には、一本の情報で生死が決することがあります。中津川宿の商人たちはじめ、中津川の平田門人たちは門人のネットワークから、また、江戸や京都の商売を通じて正確な情報、信頼度の高い情報を手に入れたり、発信して、中津川宿が情報センターの役割もしていました。

中津川市中山道歴史資料館

〒508-0041 岐阜県中津川市本町二丁目2-21
電話番号0573-66-6888
ファックス0573-66-7021
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