⦅中津川宿23⦆青淵 渋沢栄一

更新日:2022年04月12日

渋沢栄一一行と中津川宿新町

中津川宿新町近又旅館の前の渋沢栄一先生一行 個人蔵(故菅井深恵所蔵)

明治43(1910)年4月中津川宿新町旧近又旅館前、渋沢篤二氏(栄一と千代)により撮影された写真です。

人力車で出発しようとするのは中央製紙創業に尽力された渋沢栄一先生、中津川の菅井 蠖氏等の一行です。

中央の女性は近又旅館女将、左は山中佐平商店です。

 

青淵 渋沢栄一

近世名士写真 1934 – 1935 渋沢栄一

近世名士写真 1934 – 1935

国立国会図書館ウェブサイトより

渋沢栄一(1840年~1931年)

「2024年発行の1万円札の肖像画」となった渋沢栄一(雅号(がごう)青淵(せいえん)は、天保11(1840)年、武蔵国榛沢郡血洗(ちあらい)(じま)村(現在の埼玉県深谷市)の農家に生まれ、のちに「近代日本経済の父」と呼ばれるまでになりました。  

元治元(1864)年、栄一は一橋家に仕え、幕臣になります。

慶応3(1867)年、パリ万博の幕府使節随員となり渡欧。ヨーロッパを見聞し、日本の近代化の必要性を痛感しました。

維新後帰国、明治新政府で働いたあと、実業家として幅広く活躍します。

日本初となる銀行、鉄道やガスといった様々な会社を設立・育成しました。

さらに晩年には、社会事業や民間外交にひときわ注力し、国際平和への貢献が評価されノーベル平和賞の候補にもなっています。

昭和6(1931)年11月11日、栄一は東京飛鳥山の自邸で91歳の生涯を閉じました。

渋沢栄一と中津川宿

中津川宿の先人たちは、近代産業こそ今後の発展の要だと信じ、中央製紙設立に取り組みました。

中央製紙株式会社は、その粘り強い努力と、渋沢栄一先生らの応援により、中央線開通後の明治39(1906)年に設立されました。

製紙業は、その後100年以上経った今日でも中津川の基幹産業の一つとなっています。

明治20年代

江戸末期まで栄えた中津川の宿場町も衰退がはじまりました。

そこで、産業を起こし町を豊かにする対策として、中津川から木曾につづく森林と河を利用し、製紙業を起こし町民の仕事を増やそうという案がでました。

しかし、当時は鉄道もなく計画は難航、そこで、漢詩人で近代産業の第一人者である渋沢栄一先生に指導を請うことに決めました。

明治20年代、中津川宿の有力者、町長の市岡正香菅井蠖間鷲郎たちが東京飛鳥山の渋沢栄一邸を訪問して製紙会社の中津川誘致を願い出ました。

明治32年6月

製紙会社の起業は諸事情により難航し、進行を断念しなければならない状況になり、その事情を詳細に渋沢栄一先生に報告し再度指導を請うことになりました。

明治32年6月上旬、渋沢栄一先生から菅井蠖間鷲郎宛にその返事の書簡が届きました。

渋沢栄一からの書簡

渋沢栄一からの書簡(明治32年)

上: 渋沢栄一からの書簡 個人蔵(故菅井深恵所蔵)

下:大川平三郎からの書簡 個人蔵(故菅井深恵所蔵)

渋沢栄一先生の書簡は、中央製紙創立にむけた菅井・間両氏の熱意を受け止めた上で、「強て其起業を早候て、却て当初ニ失敗してはいけません。熟慮を要し今後の来示に従い注意してほしい」と要請しています。

明治39年4月

間鷲郎から渋沢篤二への書状

間鷲郎書状

間鷲郎書状 個人蔵

中央製紙株式会社の創立も間近に迫った明治39(1906)年4月25日、間鷲郎氏が発起人の一人である渋沢篤二氏に送った書状です。

「過日ハ御遠路の所御来駕」と、渋沢が打ち合わせのため中津川まで出向いたことがわかります。

明治39年10月

中央製紙株式会社創立総会

中央製紙建設中の写真

建設中の中央製紙 個人蔵(故菅井深恵所蔵)

明治39年10月、名古屋商工会議所にて中央製紙株式会社の創立総会が開催されました。

相談役に渋沢栄一先生、取締役の一人に菅井蠖、監査役の一人に間鷲郎が就任しました。

明治43年4月13日晴 軽寒

中津川にて、中央製紙株式会社の起業に関し渋沢栄一先生への感謝状贈呈式が行われました。 菅井蠖氏が、揮毫をお願いし後に漢詩掛け軸が届けられました。

渋沢栄一夫妻と中央製紙役員 中央製紙仮事務所にて

渋沢栄一と家族

中央製紙役員 個人蔵(故菅井深恵所蔵)

前列中央が渋沢栄一・兼子夫妻。

後列の右端から大川平三郎、野呂駿三、一人おいて 間 由吉、渋沢篤二、菅井 蠖の各氏です。

中央製紙全景

中央製紙全景個人蔵(故菅井深恵所蔵)

設立当初の中央製紙工場が分かる写真です。

撮影者は渋沢篤二です。

中津川億恵那峡船着き場

渋沢一行 中津川奥恵那峡 個人蔵(故菅井深恵所蔵)

明治43年4月、中津川の奥恵那峡観光をしている渋沢一行の写真です。

青淵 渋沢栄一先生の漢詩軸

渋沢栄一の漢詩軸

個人蔵(故菅井深恵所蔵)

菅井蠖氏に届けられた漢詩掛け軸です。

渋沢栄一先生が渡米時の所感を28文字の漢詩で書いた掛け軸で、明治末期ごろの作と推定され、渋沢の名と雅号(せい)(えん)」の朱印があります。

漢詩の解説

中津川市中山道歴史資料館

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