⦅中津川宿14⦆十八屋山十間武右衛門家

更新日:2021年04月04日

今の御菓子処「川上屋」の南隣が、江戸中期に建てられたと伝えられている十八屋山十間家です。

屋号を十八屋山十といい、中津川宿の豪商間杢右衛門の分家、間武右衛門が移り住んで旅籠を営んでいました。

 

中津川宿十八屋山十界隈
中津川宿十八屋立て札の写真

中津川宿十八屋山十

十八屋山十間家

中津川宿山十間家の写真

十八屋山十間家

十八屋山十という屋号で旅籠屋を営んでいました。

この建物は、江戸中期に園田大学が建てたと伝えられており、上がり框や天井の梁などは当時のままです。

 

 

旅籠屋とは

主として一般の旅人が宿泊する宿屋のことですが、宿泊は幕府の達しによって、誰に限らず一泊しかできませんでした。

当時の記録によりますと、旅籠は誰でもができるわけではなく、人や物を運ぶ伝馬役などの宿役人しか営むことが出来ませんでした。

また参勤交代の大名などが大勢通行される場合には、その家臣なども宿泊しましたが、それを「下宿(したやど)」といっていました。

安政元(1854)年、下町・横町・本町の旅籠屋の主人たちが連署して「中津川宿旅籠屋の取決と懸留願」を出しています。その願書は新町や千旦林などで旅人を泊めることを禁止するよう願い出たもので、当時本町地内に、旅籠屋は21軒もあったことがわかります。

和宮御下向の時

文久元(1861)年、皇女和宮御下向の時には、「京御供」がここ宿泊されています。その時の記録には、1階は5室、2階は12畳の間取りであると細かく記されています。

天狗党通過の時

元治元(1864)年11月水戸天狗党が中津川宿通過のとき、和田峠の戦いで負傷した若い武士を、平田門人であった間武右衛門が、自分の家の隠し部屋にかくまって、手当てをしてあげました。

その武士は亡くなってしまわれました。家にはその若き武士の遺品が今もなお残されているとのことです。

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