⦅中津川宿18⦆丸三間家
中山道を西から本陣へと至る間に、横町で二度、直角にまがります。これを枡形といいます。
これは、本陣で休泊した大名や役人が出立の時、見通すことができないように造られたものです。
横町の角、「式内恵奈山上道」の道標(みちしるべ)の相向かいにある卯建の立派な建物が丸三間家(はざま酒造)です。
ここでの酒造りの始まり
この地で酒造りを始めたのは、志水屋岩井家です。
岩井家の先祖は陸奥の国磐井出身で、江戸時代に入ると磐井家三十代 助七郎が中津川に移ってきました。
その息子が寛文5(1665)年酒造りを始め、元禄2(1689)年、この地に屋敷、酒蔵、土蔵を建てました。
岩井家は大変な資産家で、幕末まで続きました。山村代官と一緒にお酒を飲んだり、俳句会をしたりしています。
丸三間家(はざま酒造)
丸三間家(はざま酒造)がここで酒造りを始めたのは、明治25(1892)年のことです。
間家が中津川宿に移り住んだのは天正のころ(西暦1570年ごろ)で、十八屋丸八間家を創始しました。
はざま酒造の初代は、その八代目間杢右衛門喜矩の二男で、「間三吉矩一」といい、明治6(1872)年に分家しています。「三吉」の「三」をとって「丸三」間家と呼ばれています。
はざま酒造の「酒遊館」には志水屋岩井家からの酒造りの道具がならべられています。
中津川市中山道歴史資料館
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更新日:2021年04月01日