⦅資料紹介10⦆縄文文化にかかわる遺物たち

更新日:2021年04月01日

近年、縄文時代への関心が高まっています。

日本列島において縄文時代は約1万年間続きました。

中津川市は地理的に東西日本の接点に当たります。

双方の文化に影響をうけた縄文文化の遺物が多く出土しています。

縄文時代

縄文時代

年代区分は諸説あります

中村遺跡出土の土偶 (縄文時代)

土偶(どぐう)とは、縄文時代の人物をかたどった土製品で、縄文時代草創期に出現して中期から数がふえ、分布は東日本が多くなっています。

女性像が多いのは、豊穣や子孫繁栄と関係する呪術的な儀式の対象として、安産や獲物の豊富なことを願うために使用されたとの説があります。

写真は、中津川市の中村遺跡で発掘された土偶です。

東濃地域での出土は珍しく貴重な出土品と考えられています。

現在、当館企画展にて展示しております。(令和3年4月現在)

中村遺跡出土の土偶

中津川市所蔵

中村遺跡出土の土偶一式

中津川市所蔵

1万年の土偶の歴史

縄文の人たちが1万年もの間作り続けた土偶には、いったいどんな意味があったのでしょうか。

この土偶が、

なんのために作られたのか、

恣意(しい)的に壊され埋められたのではないだろうか、

あえて写実的に人間によせて人形を作らなかったのか、

など、想像を巡らせてみてみましょう。

はるかなる時を超えて、縄文の人たちの祈りの形がまさにここにあるのだと感じられます。

中村遺跡とは

中津川の段丘上、小鳩保育園の周辺に広がる遺跡で、縄文時代中期から晩期、弥生時代、古代を中心に多くの遺物が発見されています

灰釉(かいゆう)陶器や刀子を伴う平安時代末期の住居跡が発見されました。

緑釉(りょくゆう)陶器や「継人(つぐひと)」の墨書を持つ奈良時代前半頃の須恵器が発見されたことから、古代、周辺には何らかの公的機関が存在した可能性が想定されます。

 

落合五郎遺跡(おがらん遺跡)出土の獣面把手(縄文時代前期)

縄文時代には、土器や石器といった生活で使う道具だけでなく、土偶など非実用的な道具もたくさん作られます。

写真は落合五郎遺跡(おがらん遺跡)出土の獣面(じゅうめん)把手(とって)です。

獣面把手は、縄文土器の縁の部分に付けられた装飾です。

動物の顔をしているため獣面把手と呼ばれ、深鉢型土器に付いていたものと思われます。

関東や東北、甲信地方などで多く見つかっていますが、東濃地域では貴重な出土です。

一般にイノシシを象ったものが多いとされています。

現在、当館企画展にて展示しております。(令和3年4月現在)

落合五郎遺跡(おがらん遺跡)獣面把手(じゅうめんとって)

中津川市所蔵

獣面把手(じゅうめんとって)たて

中津川市所蔵

落合五郎遺跡(おがらん遺跡)とは

落合五郎兼行(かねゆき)の館があったとの伝承からおがらんと呼ばれる神社の周辺に広がる遺跡です。

縄文時代前期のものを中心に縄文時代の遺物・遺構が多く見つかっていますが、この他にも古墳時代の石製模造品や古代・中世の遺物も発見されています。

ここには、大型掘立柱建物跡があり、8世紀から9世紀頃のもので、柱穴からは緑釉(りょくゆう)陶器が発見されました。東西19.2m・南北6.4m・柱穴直径1.5m前後、市内に類をみない建物であり、東山道に関連した重要施設であったとも考えられます。

 

 

展示終了 令和4年3月27日

中津川市中山道歴史資料館

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