⦅資料紹介8⦆旅の祭祀にかかわる遺物たち

更新日:2021年04月01日

山畑遺跡出土の石製模造品(古墳時代)平遺跡と上田遺跡出土の陶器(平安時代)

祭祀(さいし)にかかわる遺物(いぶつ)たち 【神坂地区】

写真にある山畑遺跡、平遺跡、上田遺跡からの出土品も、旅の祭祀に関わる遺物だと考えられています。

山畑遺跡出土の石製模造品(古墳時代)と平遺跡・上田遺跡出土の陶器(平安時代)

中津川市所蔵

 

神の御坂 旅の無事を祈る

ちはやふる (かみ)御坂(みさか) (ぬさ)(まつ)(いは)命は 母父(おもちち)がため

「万葉集」巻20に、忍男という防人(さきもり)の歌があります。

信濃国埴科(はにしな)郡の主帳(しゅちょう)郡衙(ぐんが)の第三等官)の子である彼が、天平勝宝7年(755)、防人(さきもり)として徴発され、筑紫国へ赴く途中で詠んだものですが、神の御坂(今の神坂(かみさか)峠近辺)で(ぬさ)を奉り、旅の無事を祈る旅人の姿を彷彿(ほうふつ)とさせる歌として、しばしば取り上げられてきました。

神々への捧げ物を伴う祭祀

古来、険しい山、長い坂道、荒れた海などは往来する人々を苦しめました。

こうした経験から人々は道行きを妨げる恐ろしい神の存在を信じ、旅の無事を願って祭祀(さいし)を行うようになりました。

万葉集の中だけでも幣を読んだ歌は19例あるそうで、祭祀の対象は峠神・天地神・海神・瀬神・その他の神々といった具合に様々です。

読み手も長屋王や大伴家持(おおとものやかもち)のような中央官人から防人や遊行婦に至るまで様々で、広い社会層の人々が神々への捧げ物を伴う祭祀を行ったと考えられています。

神坂峠 旅の祭祀に関わる遺物

岐阜県と長野県の境界にある神坂峠は東山道きっての難所だったことが知られています。

そこでは神々への捧げ物と考えられる古墳時代から中世の遺物が発見されています。

このような祭祀遺跡は神坂峠だけでなく、山麓などにも分布しており、東山道の経路を推定する手掛かりとなっています。

展示終了 令和4年3月27日

中津川市中山道歴史資料館

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