⦅資料紹介31》鎮西軍記
鎮西軍記(ちんぜいぐんき)
間家資料目録No.補919
『鎮西軍記』を紹介します。
「軍記物語」とは合戦を主として時代の展開を写した叙事詩的文学、鎌倉時代に多く作られた。1
とあります。九州での戦いについてとても細かく描写されています。
この『鎮西軍記』は和紙に筆で書かれています。『豊臣鎮西軍記』の第28「肥築の諸士敗走のこと并加藤福島島津勢と戦う事」から第35「島津の鎖国一向宗停止の事并島津義弘上洛の事」までが記されています。
肥筑の諸士敗走の事并加藤福島島津勢と戦ふ事
「肥筑の諸士敗走の事并加藤福島島津勢と戦ふ事」のあらすじをみてみましょう。
新納武蔵野守(にいろむさしのかみ)は薩摩武士で島津の羽翼の臣でした。上方勢の案内者、秋月三郎種長(あきづきさぶろうたねなが)は九州の住士でしたが島津の臣ではないとして武蔵野守と戦いました。が武蔵守は強勇のため押され気味となりました。そこへ、上方勢の龍造寺山城守政家(りゅうぞうじまさいえ)が秋月を救おうと参上し戦いました。九州諸士の筑紫上野介廣門(つくしひろかど)、松浦式部少輔鎮信(まつうらしげのぶ)、太田飛騨守政信(おおたまさのぶ)等も入れ替わり立ち代り参戦し武蔵野守と戦いましたが、敵わず敗走しました。
それを見て「案内の輩に任せておけない」と上方勢の福島左衛門大夫正則(ふくしままさのり)が武蔵野守と戦いました。同じく加藤主計頭清正(かとうきよまさ)も戦いに繰り出しました。中でも清正の郎等、木村又蔵(きむらまたぞう)、井上大九郎(いのうえだいくろう)、加藤清兵衛(かとうせいべえ)、齊藤立(さいとうりつ)、貴田孫兵衛(きだまごべえ)達は猛勇無双の者達なので武蔵野守は打ち破られ敗走する所へ、種子島大膳(たねがしまだいぜん)、川上左京(かわかみさきょう)、伊勢兵部(いせのひょうぶ)、松尾隼人(まつおはいと)が一万五千余人の新手を率いて武蔵野守を助けにきました。種子島、川上は加藤と対戦し松尾と伊勢は福島と対戦しました。しかし、加藤・福島は豊臣家の猛将のため互角の戦いとなりました。互いに困窮するなか、川向に控えていた伊集院右衛門大夫忠棟(いじゅういんただむね)が現れ、四人(種子島、川上、松尾、伊勢)の大将を救いました。両軍とも疲れ果て同時に後方に退くこととなりました。
この戦いは上方の勝利となりました。
とこのような内容となっています。まるでこの決戦を近くで見ていたような臨場感溢れる展開となっています。

1・・・岩波書店『広辞苑』
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更新日:2026年05月03日