⦅資料紹介22⦆護法新論
護法新論
中津川の国学者たちはどのような書籍を読んでいたのでしょうか。十八屋山半間家に残されていた『護法新論』を紹介します。
自序では、「西洋の侵入者が天球、地球に関する真実性の薄い説を用いて世の人を惑わせ国を陥れようとしている。近隣の明や爪哇(ジャワ)嶋原の擾乱はそのあらわれである。この天文気象の真理をつかみ、その理由を明らかにして侵入者の説を砕くためにこの書を著す。日夜研究に励み、その根源を探索して宇宙間の理由を明らかにし、西洋の侵入者の邪説に惑わされることのないように」と記されています。
上・中・下巻それぞれに篇目がつけられています。上巻は「無隠篇」論語の「吾無隠乎爾」(われなんじにかくすことなし)。中巻は「平邪篇」『日本書紀』の「吾欲令撥平葦原中国之邪鬼」(われあしはらのなかつくにのあしきおにをはらいむけしめむとおもう)。下巻は「護城篇」、「無量寿経厳護法城」(むりょうじゅきょうごんごほうじょう)。「無量寿経」は大乗仏教の経典の一つで「厳護法城」(厳しく護るお寺)が説かれており、そこから名付けられています。
無隠篇第一
耶蘇教の批判から始まりますが、「眼目視線図解」の項目で「天象は用意に測ることは出来ないため、視線が曲折する理由を図解する」として、第一図から二十図まで説明とともに図が描かれています。内容としては顕微鏡の原理や水による視線の曲折、水による視線の曲折、ガラスや水面だけでなく空気による曲折等についても記されています。
平邪篇第二
伽離畧(ガリレオ)が天動説ではなく地動説を盛んに主張したことや、月食の図と記述があります。その他、彗星の軌道が楕円であることに関して、「地球等の惑星は太陽の引力によって軌道が成立しているが、彗星は引力での説明がつかない、どのような理由になっているのか」など、彗星について5つの疑問を投げかけています。
護城篇第三
「須弥界の説に世の人が疑う難問を設け、それを説き明かし、寺を安泰にして西洋の侵入者がこちらの過ちを窺うことをさせないようにする」と記されています。
これらの資料から、中津川の幕末の国学者たちは本居宣長や平田篤胤が書いたものばかりでなく、西洋の諸学者たちの「もの」の見方や考え方を紹介する書籍等をも含んで、幅広い知識を得ていたことを伺い知ることができます。
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更新日:2024年11月08日