⦅資料紹介21⦆諸国大地震之図
諸国大地震之図
嘉永7年11月4日(太陽暦1845年12月23日)午前9時頃、紀伊半島東南部の熊野沖から遠州沖、駿河湾に至る広い海域を震源として起きた安政東海地震と、その31時間後の翌11月5日の午後4時頃に紀伊水道から四国にかけての南方海域を震源として起きた安政南海地震の惨状を書き記した江戸時代のかわら版です。かわら版とは江戸時代、天災地変・火事・心中などの事件を速報記事にして街頭で売り歩いた印刷物です。縦47.5センチ×横72センチの大きさは当時としては特大サイズであり、中央部で張り合わせてあります。
この地震は嘉永年間に起きましたが、この天変地異等を期に改元されて11月27日に安政と改められました。歴史年表上では安政元年であることから、安政を冠して呼ばれています。
被害状況
「諸国大地震之図」は越前から薩摩までの被害状況が記されています。伊豆、駿河、遠江など海域の近くでは津波、火災、山崩れの被害、信濃では善光寺辺りまでも大きくひびき、松本辺も火災で焼けてしまった、とのことです。美濃については記載がありません。摂津では翌五日の地震により天保山が大津波により崩れ、安治川すじ、木津川すじでの死亡者は3000人余となり、けが死亡の者が多すぎて目もあてられないありさまだと記しています。他の国の被害状況も事細かに記されています。
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更新日:2024年06月08日