⦅資料紹介20⦆古銭

更新日:2024年01月26日

中津川で出土した古銭

『恵奈神社誌』「1」によると坂本辻原にて明治30年、志那瓶に納められた唐銭(古銭)数十種が掘り出され、参考品として小学校に寄付されたと記されています。その種類は

景元徳宝大観通宝、太平通宝、政和通宝、大通禧宝、天元聖宝慶通元宝、紹元通宝、乾元通宝、永楽通宝、洪武通宝、天通通宝、朝鮮通宝、可元通宝、咸元通宝等。

現在開催中の企画展で紹介している太字で記した4種の古銭を取り上げます。展示の古銭は、市内旧家で保管されていたものです。

紹介している古銭(宋銭)

景徳元宝

景徳元宝「けいとくげんほう」北宋、真宗1004(景徳元)年初鋳。書体は真書

個人蔵

天聖元宝

天聖元宝「てんせいげんほう」北宋、仁宗1023(天聖元)年初鋳。書体は篆書

個人蔵

大観通宝

大観通宝「たいかんつうほう」北宋、徽宗(きそう)1107年初鋳。書体は真書

個人蔵

慶元通宝

慶元通宝「けいがんつうほう」南宋、寧宗1195(慶元元)年初鋳。書体は真書

個人蔵

古銭(宋銭)について

すべて年号銭で、ほぼ皇帝の改元ごとに改鋳されますが例外はあります。銅銭の成分は、北宋では平均銅65.8%、鉛24%、錫8%、鉄その他。南宋になると銅56.8%、鉛35.6%、錫4%、鉄1.3%の割合です。銭文字は四文字に固定されますがその字体は楷書(真書)、隷書、篆書、行書、草書と多岐に分かれます。宋銭の銭弊記号は、原則として「通宝」「元宝」「重宝」に区分され、年号の次にいずれかを伴います。銭分は向かって上から下、右から左と読む「直読」と上から右回りの「旋読」があります。「2

大量に流通した古銭(宋銭)

日宋貿易に力をいれた平清盛は、1170(嘉応2)年に最初の宋船を来航させました。宋の貿易船は絹織物や陶磁器などを日本に運び、大陸で不足していた木材や硫黄を積んで帰りました。しかし、行きと帰りでは重量のバランスが悪かったので、往路では船を安定させるために大量の銅銭(宋銭)を積み、これが日本商人の間で浸透し始め、本格的な貨幣経済の時代に入りました。「3

1179(治承3)年『百錬抄』「4に「天下上下病悩。號之銭病」と記されます。諸国で流行した疫病は「大陸から渡来した銭に疫病がついていた」と噂され「銭の病」とよばれました。このことは人々の生活に銅銭がすでに広まっていたと考えられます。

大量に流通した銅銭は年貢を銭で納める流れを生み出しました。年貢を現物でなく銭で納めることを代銭納といい、鎌倉時代を通じて移行が進みました。年貢以外の公事も代銭納となり、百姓は人夫役などの重荷も代銭納により開放されました。「5」

古銭の出土した場所

『恵奈神社誌』によると「字辻原荻野氏の裏の所を御屋数(原文ママ敷か)と言い、また藪を殿様藪と言い伝えり、その所より(略)」掘り出されたと記されています。『中津川の中山道』「6」には辻原白山神社が紹介されています。この神社の由来は「美濃国土岐郡土岐(源)頼政の家来であった荻野五佐右衛門次清が、久安元(1145)年、釜戸村(現瑞浪市)からこの辻原の里に移り住み、一鎌の竹を植え「荻野藪」と名付け、第76代近衛天皇の仁平3(1153)年、御所の紫宸殿上に怪獣鵺(ぬえ)が現れた時、源頼政が荻野藪の竹で矢を作り、これを退治して褒美に御矢と太刀一腰を拝領した」とあります。また、「五佐右衛門は褒美の御矢をご神体として、白山大権現を久寿元(1154)年8月1日にこの場所に祀った」とも記されています。出土した古銭は源頼政の家来の荻野氏由来の古銭かもしれません。

書体について

篆書(てんしょ)・・漢字書体の最も古いものです。広い意味では中国秦代以前に使われていた全ての書体を指しますが、一般的には秦代に標準書体として制定された小篆を指します。

隷書(れいしょ)・・篆書に次いで二番目に古代中国で正書となった書体です。小篆を簡略化し曲線を直線にした実用的な書体です。

草書・・隷書を早書きしている過程で出現します。前漢のころから表れ始め、後漢になると広く使われるようになります。一つの文字の筆画を最初から最後まで続けて一画で書きます。

行書・・草書と同じく隷書から派生した書体です。速筆向きでありながら読みやすく、公務文書や祭礼文書などの厳粛な場で使われる書体です。

楷書(真書)・・隷書から派生した書体のなかで最後に誕生しました。楷書は三世紀中頃中国で完成し七世紀唐の時代に完成したと考えらます。点画が明瞭で筆法も難しくなかったことから中国で正式な書体とされた期間が最も長い書体です。「7

 

「1」・・梅村馨(1912)『恵奈神社誌』日本民族文化保存会

「2」・・梅原郁『宋銭の裏表』https://www.imes.boj.or.jp/cm/resarch/zuroku/mod/2009c_10_29.pdf

「3」「5」・・歴史まとめ.net   https://rekisi-memo.net>japan_column>daisennou

「4」・・『国史大系第14巻百錬抄、愚管抄、元亨釈書』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/991104/1/181

「6」・・中津川市総務部秘書広報課『中津川の中山道』(1995)中津川市

「7」・・書道入門https://syodo-kanji.com/d1-1-1kanji_history.html?id=03

 

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