⦅資料紹介13⦆馬島靖庵と種痘
馬島靖庵
馬島靖庵は、文化8(1811)年、苗木藩の御典医水野自牧の子として生まれ、天保7(1836)年に中津川新町で開業した医師で、島崎藤村の小説『夜明け前』に登場する宮川寛斎のモデルにもなった人物です。
医師を本業としながらも、漢詩・和歌・俳句に精通し、国学者の平田篤胤没後の門人として、間秀矩・市岡殷政・島崎重寛らを指導しました。中津川の文化面における教導的存在でした。
医師としては、馬籠、木曽、飯田等へも往診に出かけるなど、その往診範囲は国をまたいだ広いものでした。
安政元(1854)年に医院を養子に譲ったのちは、信濃の伴野村(現在の長野県下伊那郡豊丘村)へ移住し、松尾多勢子の娘に種痘をしています。
紫陽伴野日鑑
「紫陽伴野日鑑」は、馬島靖庵が医師として成熟期のころ、下伊那郡伴野村へ移住した際の文久2(1862)年4月より元治元(1864)年7月までの滞在日記です。
この日記の中に、靖庵が、文久3(1863)年11月20日、松尾多勢子の娘に種痘をした記録が残されています。
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更新日:2022年10月03日