⦅資料紹介11⦆安藤広重晩年作 「五十三次錦絵(五十三次名所図会 通称 竪絵東海道) 」

更新日:2022年04月22日

五十三次名所図会  宮

五十三次名所図会 四十二 宮 熱田の駅七里の渡口(竪絵東海道)歌川 広重

五十三次名所図会  京
 
  五十三次名所図会 五十五 京都 三條大橋(竪絵東海道)歌川 広重

 

五十三次名所図会  表紙

五十三次錦絵(五十三次名所図会 通称 竪絵東海道) 」個人蔵

全図竪絵で統一されているので「五十三次名所図会」は、通称「竪絵東海道」と呼ばれています。

安政2(1855)年、東海道を幾度も描いた歌川廣重の晩年作品で、東海道の日本橋から京までの宿場やその周辺が俯瞰的な縦の構図で描かれています。

当館に展示してある 「五十三次錦絵(五十三次名所図会 通称 竪絵東海道) 」は、中津川宿の人々の後世への思いをのせ、竪絵55枚を一冊にまとめたものです。

五十三次錦絵(五十三次名所図会)錦絵竪絵 55枚

五十三次名所図会

丁々園 市岡正香の後世への思い

丁々園主の思い

大意

封建の昔文久の辛酉(1861年)といへる年  皇武一致の事図らむとして  皇妹降嫁の佑起こされたる時 

当時幕府の大奥に時めきし老女華園(花園)と呼ばれし人  追いおきまつろへて此里に至り  間屋を一夜の宿としたりしか

家の結構は素より  其もてなしも天下かなえたりとて東に帰りたる後  謝状さえ添えて此の錦絵の一巻を贈りこされたり

時移り世代代りて今はその来歴のあらましをさへ知る人少なくなりぬ  かくて年月の流れしは久しく知る人の絶ゆらむを憂へて 

そのありさまを物せよとの請ひを容れて聞かしものをまにまにかくそ記しぬ

明治の三十六年三月

丁々園

 

皇女和宮おとも 老女花園から贈られた「五十三次錦絵」

皇女和宮を京都まで迎え出向き、共に下向した大奥上臈(じょうろう)御年寄(おとしより)花園は、中津川宿新町の十八屋「やまはん」間半兵衛秀矩家に宿泊しました。

中山道経由で無事江戸城入りした孝明天皇の妹和宮は文久2(1862)年2月11日、第14代将軍徳川家茂と結婚します。

5月に入ると、花園やその付き女中たちは、中津川宿で一泊お世話になった十八屋「やまはん」間家へ、相次いで書状や返礼の品等を送ります。

この「五十三次錦絵」は、その返礼として送られてきたものの一つです。

 

詳細HP→⦅中津川宿24⦆皇女和宮と大奥上臈御年寄花園