地形・地質からみる苗木城

更新日:2024年07月04日

苗木城は、幕末まで12代続いた苗木藩遠山氏の居城で、木曽川北岸の小高い岩山に築かれた山城です。

岩場の地形を生かし、露岩を利用して天守台や石垣がつくられているのが特徴で、城跡となった現在でも、大きな自然石を取り込んで組み上げられた石垣などが残されています。

その立地を、地学の目で紐解いてみましょう。

花崗岩の山

苗木城全景

上空から見た苗木城

苗木城跡は、地質的には苗木なえぎ花崗岩かこうがん(苗木‐上松あげまつ花崗岩)の分布域にあります。

天守が置かれた高森山(城山、標高432m)は、花崗岩の風化・浸食作用の結果残った高まりで、南側は木曽川が深い渓谷を刻むことによって、天然の要害となっています。
高森山と木曽川の標高差は約170mにもなります。

花崗岩は、マグマが地下でゆっくりと冷え固まってできた岩石で、鉱物の結晶がモザイク状に組み合わさった組織をしています。
堅固で美しい石材「御影石みかげいし」としてさまざまに利用され、城の石垣にも広く使われています。

粗粒花崗岩(苗木花崗岩)

苗木‐上松花崗岩 [EA94030001]
岐阜県中津川市瀬戸

写真左右約16cm

苗木城大矢倉跡

苗木城の石垣(大矢倉跡)

苗木城の巨岩をつくった花崗岩の節理と風化

地下で固結した花崗岩が地表に露出すると、すぐに風化が始まります。花崗岩を形作っていた鉱物粒子はバラバラになってマサ(真砂)と呼ばれる砂状に崩れていきます。

また花崗岩には、岩盤にかかる力や冷却にともなう収縮などによって、節理せつりと呼ばれる割れ目ができます。

割れ目に沿ってマサ化した部分が流れ去ると、節理(方状節理)に囲まれたブロック(節理塊)の中心部分が上部に残ることがあります(下図)。

花崗岩の風化過程(図解)

花崗岩の風化過程(模式図)

苗木城天守台の巨大な岩も、このようにして形成されたと考えられます。

苗木城天守台

苗木城天守台

馬洗岩 ― 崩落寸前の巨岩

天守から南にすこし下ったところに「馬洗岩」うまあらいいわと呼ばれる巨岩があります。

馬洗岩(節理面を示す矢印付)

馬洗岩

矢印間が節理面

籠城戦で水の手を断たれた際に、この岩の上に引き出した馬を米で洗い、あたかも水があるように見せかけたという伝承がある岩です。

この岩をよく見ると、節理が大きく斜めになっています。これはこの岩が、斜めにずり落ちた節理塊であることを示しています。

戦国時代から数百年間、この状態を保ってきたようですが、いずれは(地質学的には遠からず)さらに崩れ落ちていくことになりそうです。

多種の鉱物を産するペグマタイト

晶洞ペグマタイト

晶洞ペグマタイト [EB02390001]
岐阜県中津川市蛭川(田原)

晶洞の幅約14cm

苗木花崗岩には、しばしばペグマタイトという周囲よりも大きな結晶からなる部分がみられ、多種の希少な鉱物が産します。

晶洞しょうどう(“ガマ” とも)と呼ばれる空洞をともなう場合は、結晶面がよく現れた石英(水晶)やカリ長石の美しい結晶が大きく成長しています。

苗木城内のペグマタイト

苗木城内の花崗岩中にも、ペグマタイトがみられます。

武器蔵向かいの石垣に組み込まれた大岩や坂下門近くの岩盤のほか、天守台となっている巨岩でも観察できます。

苗木城内のペグマタイト(武器蔵向かい)

本丸下、武器蔵向かいのペグマタイト

下側のペグマタイトには晶洞(矢印の先)がある

苗木城内のペグマタイト(天守台)

本丸、天守台のペグマタイト

苗木城内のペグマタイト(坂下門近く)

坂下門近くのペグマタイト

【お願い】苗木城は国指定史跡です。城内の岩石等を傷つける行為はしないでください。

ペグマタイトに産する代表的な鉱物

煙水晶ほか群晶

石英 “煙水晶” ほか [EB00140046]
岐阜県中津川市苗木(西八幡)

標本左右約15cm

ペグマタイト中の石英は黒っぽい煙水晶となっている
白色鱗片状結晶は曹長石そうちょうせき、灰色板状結晶はチンワルド雲母

チンワルド雲母

チンワルド雲母 [EA96051463ほか]
岐阜県中津川市瀬戸(山の田)

写真左右約11.5cm

カリ長石

カリ長石 [EA96032002]
岐阜県中津川市苗木(根畑)

標本左右約8cm

曹長石

曹長石 [EA96036006]
岐阜県中津川市苗木(根畑)

標本左右約16cm

白色の鱗片状結晶の集まりが曹長石
煙水晶・チンワルド雲母を伴う

トパーズ(母岩付)

トパーズ [EB00140051]
岐阜県中津川市苗木(西八幡)

標本左右約9cm

無色透明の柱状結晶がトパーズ(結晶長さ約2.5cm)

緑柱石

緑柱石 [EB00140057]
岐阜県中津川市苗木(西八幡)

長さ約4cm

フェルグソン石

フェルグソン石 [EA66NA1117]
岐阜県中津川市苗木(岩須)

長径5mm程度

風化した母岩から分離し堆積した結晶(砂鉱)

苗木城以前

苗木遠山氏が現在の場所を居城としたのは1526年といいます。

それまでは、苗木城から6kmほど北に位置する植苗木うわなぎ(現・中津川市福岡)に居館があり、近くの山にとりで広恵寺こうえじ城)を構えていました。

このころ、恵那郡の北に隣接する益田ました郡(現・下呂市)を拠点としていた三木みつき氏が、高山方面へ移ったことで、遠山氏としては北への不安が解消しました。
その一方、現在の中津川には、信濃から木曽氏や小笠原氏が入ってくるようになり、その備えとして拠点を南に移したようです。

木曽川沿いには、高森山のほかにも瀬戸崎せとざき城(瀬戸、濃飛流紋岩のうひりゅうもんがん)・安築あずき城(津戸つと、苗木花崗岩)といった砦が候補地としてありましたが、中津川の町が最もよく見え、見張りやすい高森山が選ばれました。

地質図上でみた城跡の位置

地質図上でみた城跡の位置

岐阜県地質図[ジオランドぎふ]で見る

濃飛流紋岩

苗木遠山氏が支配したのは、木曽川以北の旧恵那郡と加茂郡東部(現在の中津川市・恵那市の一部、東白川村・白川町など)で、大部分は苗木花崗岩と濃飛流紋岩の分布域です。木曽川に近い南に花崗岩が、飛騨ひだ寄りの地域にはおもに濃飛流紋岩が分布しています。

濃飛流紋岩(恵那AFS)

濃飛流紋岩EB01366021]
岐阜県中津川市落合 落合川橋下

写真左右約11cm

濃飛流紋岩は、大規模な火山活動でできた岩石で、おもに火砕流かさいりゅうによって堆積たいせきした火山灰からなる溶結凝灰岩ようけつぎょうかいがんです。
火砕流は、火山灰や軽石(火砕物)と火山ガスが一体となって濃密な状態で高速移動し、高温のまま堆積します。そのため、火砕物は熱と自重によって圧縮されて固まり、溶結凝灰岩となります。

地表で固結した溶結凝灰岩は、冷却にともなう節理が発達してブロック状に割れますが、花崗岩よりも風化に強く、山の標高は濃飛流紋岩の方が一般に高くなっています。

飛騨寄りの地域に城を築くなら、標高が高い濃飛流紋岩の方が軍事的には良いようにも思えますが、植苗木の広恵寺城跡も、苗木花崗岩からなる山の尾根筋にあります。
生活拠点となる平坦地や街道などへのアクセスも考慮すると植苗木の地に利があったようです。


参考図書

参考になる鉱物博物館の出版物

文献

中津川市鉱物博物館

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