作品紹介「落柿舎」

更新日:2023年12月02日

落柿舎(東山魁夷)

落柿舎〈習作〉(セリグラフ)

「落柿舎」(連作「京洛四季」から)

京都のもつ日本的なものの良さに憧憬を抱いていた東山魁夷は、古都の急激な変化を憂う川端康成からの「京都を描くなら、今のうちです」という勧めもあり、1966年に京都の四季おりおりの変化を捉えた「京洛四季」の連作を残しています。その連作を描くにあたり、数年にわたって京都を取材したスケッチのうちの一つがこの「落柿舎らくししゃ」です。

落柿舎とは、京都市左京区の嵯峨野にあり、江戸時代の俳人向井去来が庵を結んだ場所です。去来が著した『落柿舎ノ記』によれば、この庵の周囲にあった40本程の柿の木の柿が、一夜のうちにすべて落ちつくしたことが落柿舎の名前の由来になったとされています。

魁夷の作品「落柿舎」は、茅葺屋根と黄土色の土壁の落ち着いた佇まいの本庵の正面が切り取られて描かれ、主人の在庵を暗示しているのか、壁の中央には箕の笠がかかっています。壁には、すでに実の落ち切った柿の木の影が遠慮がちに映り込み、屋根と地面には葉が散り落ちて、季節が冬へと向かいつつあることを告げています。

この落柿舎は、今も保存・公開されており、門をくぐると右手に受付、正面に本庵があります。その向かいには樹齢300年の柿の木が今も空高く枝を伸ばしています。
魁夷は、実際に夕暮れ時にここを訪れており、夕陽に照らされて柿の木の影が映りこんだ落柿舎を見て絵の構想を思いついたと想定されます。

「私の願いは、京都にできるだけ京都の良さを残してほしいと思うことである」という魁夷の言葉にもあるように、落柿舎が後世に継承されていくようにとの願いも込められているように感じます。

中津川市東山魁夷心の旅路館

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