No.4 湯舟沢レディースは私の宝物
中津川市神坂の農産加工グループ、湯舟沢レディースのリーダーを務める洞田梅子さん。
神坂で生まれ育ち、約30年間意欲的に活動をされてきました。
湯舟沢レディースは、農産加工グループとして中津川市を中心に活動されています。中津川市の郷土料理である朴葉寿司の販売をはじめ、講演活動などの食育にも力を入れてこられ、表彰を受けられたこともあります。
今回、梅子さんから、活動を支えてくれた人の話や活動についての思いを伺いました。
- プロフィール
湯舟沢レディースっていう農産加工やってます、洞田梅子と申します。
霧ヶ原です、神坂の住まいは。富士見台に行くとき通っていきますね。馬籠の大きい駐車場から見るといい風に見えるところです。
生まれもここ、神坂です。細野ってとこなんですけど、夫が霧ヶ原の人だったのね。細野も山ですけど、霧ヶ原は山奥もいいところ。なんであんなところ行っちゃったかしら(笑)。そう思うぐらいのとこです。
- 湯舟沢レディース
湯舟沢レディースは、いま一応10人なんですけど、コロナになっちゃってから仕事の量もうんと減っちゃったし、減らしとるということもあるんですけど、もうずっと3人でやってる。そのくらいしか仕事がないの(笑)。だって、朴葉寿司は朝の1時間か2時間くらいの間でできちゃうもんで。もうこの歳になったら無理しちゃいかん。
わたしんたは、”アルボラ”やも。アルバイトのボランティア(笑)。
もう今、朴葉寿司送ってるのでてんてこまいして、いつもの人は大体送ったからいいんだけど。なんかね娘さんに送ってやりたいとか、兄弟に送ってやりたいでって。こないだなんて一人の人に34パック送った。
ほかにもお正月のお餅って各家庭でつきましたに。私たちが作るようなったら、ほとんど、頼んでくれるようになって。だからお正月のお餅がすごいの。
学校給食にも出してたのよ。郷土食やもんでね、からすみとか朴葉餅とかお月見のだんごとか。お正月の雑煮のお餅も前は出してた。あのころでもすごい数だったのよ。南(南小学校)でも500、600あったかな。そんなのは朝のちょっとの時間に作るのって大変やに。いっくら人数おっても機械がゆうこときいてくれん。朝も早く、冬やもんで凍ってるに。だもんで何年か作りましたけど、何かあってからではと思ってそれもやめちゃいました。
- 活動を始めたきっかけ
こういう形で朴葉寿司とかを作り始めたのは、中山間地の総合整備事業ってのがあって、加工場ができるっていうので、その時に加工グループを設立したんです。
地元で採れたものを加工品にして。温泉館で売って活性化できんかっていうのが初めからの目的でしたので、一生懸命応援してもらって。
婦人会でお菓子作りをしたり、お饅頭作りをしたりとかって友達と寄って。その時にたとえば朴葉寿司なら酢がもうちょっと強いほうがいいかなって、作ったときに感想を書いて。で、その次の回の時にそれを参考にしたりしてやってたかな。それがものすごい参考というか例になっていたと思います。
「アグリウーマン中津川」って中津川市の農業婦人クラブで、にぎわい広場でやってた「アグリマーケットの会」とかと言うのにも入ってたんですけど、みんな年取っちゃったし、それこそどのグループも後継者が育たなくて、3年前に解散しちゃったんです。でも今だに、お友達はずっとお付き合いはしてる。一緒にやってきた友達と出会うとほんとに思い出話がつきない。
ほうすると、あんなこともやったね、こんなことも、三重県のへんまで学校給食の話をさせてもらいに、なんとかフェアとかよう行って話をしたね、表彰してもらいに東京まで行ったね、よう行ったて、とか思い出話はいっぱいできる。
湯舟沢レディースも表彰してもらって東京へ普及員の方に一緒に行ってもらって、六本木のなんとかってホテルに泊まって、会場は大きい、ひろ~いとこで表彰状もらった。まあ、そのころは輝いとった(笑)。
一生懸命やって楽しかった。すごく充実しとったかなとは思う。
今はそういうあれがあるもんで、元気で生きとれるかなと思うとこもある。
- あっという間の30年
無我夢中だったけど、続けてこれたのは一緒にやってくれる仲間がいたということ。1人では出来ることではないもんでね。それと大福餅、朴葉寿司、お弁当作ってもそうなんだけど、食べておいしかったって喜んでもらえる人がおるとやっぱり嬉しいもんで、やりがいがある。だもんでやってこれたかな。
応援してくれる人もいっぱいいたしね。家族、お父さんの応援もそうですけど、本当にみんなに応援してもらえたってこともあるもんでね。
地区の人でも、フキが採れたで、とか、破竹採れたでいらん?とか。だもんで、なんていうんだろう、地域の活性化のためになんて、そんなすごい強いことを思ったわけじゃなくって、いろんなことに恵まれてたかなとは思いますけど、そんなに挫けずに続けてこれたかなと思う。わりと前向きっていうか、必死で。本当に知らん間にもう30年って感じやったもんね。
- これから
食生活って変わっちゃってるに。やもんでそんなに必要じゃ無くなってく、そんな気もしてる。でも学校で、栄養士の先生たちが郷土食をすごい大事にしてくださっとって、放送で流してくれたりしたり、授業でからすみ作りをしたりとかやってくださっとるもんで大事なとこはつながっていくかな、ちょっと楽観的に思うようにした。じゃないとえらいもん。
私たちのやり方、そのままやってもらおうと思ったらそれは絶対無理やもんで、もしかして若い人たちが、新しい自分たちのやり方で朴葉寿司やなくて、また違うもの、ハイカラなものを考えてくれればそれはそれでいいことやもんで。そんなふうでも、もしかしてやってくれる人がおってくれると嬉しいなってことは本当に思うけど、いろいろ思うと夜寝れんようになっちゃうもんで、あんまり思わんようにしてる(笑)。
神坂も、住みよいところになってくれればそれでいい。若い人が楽しいと思って住んでいける地区にしないかんやろうなと思うけどね、なかなかわからん、むつかしいて。
ここで生まれてここで育って出たことがないもんで。ほんとにここにずーっといる人で、ほんとに井の中の蛙だなと思う。でも、別にそれ後悔しとるわけやないもんで、それはそれでいいかな。後悔しとったらちょっとたるいかなと思うんやけど、全然それでよかった。
レディースは、それなりに楽しかった。やりがいはあった。それはよかったなと思う。私の宝物やね。
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更新日:2022年08月22日