【資料紹介】 第12代遠山友禄が若年寄に

更新日:2021年11月02日

  苗木藩主遠山友禄(ともよし)は、文久元(1861)年、外様大名では例外的に若年寄(老中に次ぐ幕閣、今の大臣級)に抜擢されました。経験と実績によるものと見られますが、苗木では受け難い抜擢でした。天保の飢饉以降、経済が破綻し、家臣には重なる倹約令、御用達(ようたし)や村役人には御用金を依頼し、もう動きが取れない状態になっていました。
  さらに幕府の重役になることは、勤めのために経費の増大、江戸詰の連続と在所にプラスはありません。苦渋の末、藩主は在所の重役(家老・用人(ようにん))に宛てて命を受ける旨の書状を出しました。(写真)
  そこでは、「この度、思いかけず参政を仰せつかった。当家にはこの上ないことで、格別の推挙は、昨年来(奏者番として)精勤してそれは満足している。この上、格別の粉骨砕身を求められてもとてもかなわないが、断れば先祖への不孝になるから一際(きわ)精勤しなければならない。厚誼(こうぎ)の趣を察し、とりあえず早々に出府する。...」と弁解しています。
  結局、若年寄から一旦苗木へ帰るが、2年後若年寄に再勤して、苗木へは殆ど帰ることが出来ませんでした。維新の直前、慶応3年に離任できましたが、幕府の中枢にいたことから明治維新では逆に維新の動勢に先行する程の改革を強行することになりました。それまでに増大した負債の削減を主に、明治の藩政改革が急進過ぎて、結果は旧苗木藩に一層の苦渋をもたらすことになりました。
  遠山史料館には、この間の藩主の動きを示す、若年寄就任への起請文(誓約書)等が残り、当時の藩主の苦渋が読み取れます。
 

中津川市苗木遠山史料館

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